アモリウム
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アモリウム(Amorium)は小アジア[1]のフリュギアに存在していた都市。ヘレニズム時代に建設され、東ローマ帝国支配下で繁栄し、アモリオンの戦いの後に衰退した。東ローマのコンスタンティノープルとキリキアを結ぶ軍用道付近に位置していた[2]。トルコのアフィヨンカラヒサール県エミルダーの中心地から13キロメートル東にあるヒサルカイという村の周囲、もしくは真下から遺跡やハイク(「墳丘墓、マウンド」の意味)が発見されている[3][4]。
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アモリウムの遺跡群 | |
| 別名 | Amorion, ʿAmmūriye, Amūrīn, Hergen Kale |
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| 所在地 |
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| 地域 | フリュギア |
| 座標 | 北緯39度01分14秒 東経31度17分21秒 |
| 歴史 | |
| 時代 | ヘレニズムから中世盛期 |
| 支配者 | アイソーポス(伝説上)、ミカエル2世 |
| 出来事 | アモリオンの戦い |
アモリウムはギリシャ語での名称「アモリオン」(ギリシア語: Ἀμόριον)をラテン語化させた名称である。アラブ/イスラム圏の文献ではアッムーリエと表記されている。オスマン帝国の支配下では重要性を取り戻すことは無く、へルゲン・カレー(Hergen Kale又はHergen Kaleh)と呼ばれた[1]。