アルゼンチン・アポロ

From Wikipedia, the free encyclopedia

リングネーム アルゼンチン・アポロ[1]
ビットリオ・アポロ[1]
Vincente Denigris[1]
本名 Vincente Denigris[1][2]
ニックネーム 空飛ぶ弾丸[3]
身長 180cm[3]
アルゼンチン・アポロ
プロフィール
リングネーム アルゼンチン・アポロ[1]
ビットリオ・アポロ[1]
Vincente Denigris[1]
本名 Vincente Denigris[1][2]
ニックネーム 空飛ぶ弾丸[3]
身長 180cm[3]
体重 106kg[3]
誕生日 (1938-04-28) 1938年4月28日
死亡日 (1984-08-02) 1984年8月2日(46歳没)[1]
出身地 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
ブエノスアイレス[1][3][4]
スポーツ歴 体操
デビュー 1958年[3]
テンプレートを表示

アルゼンチン・アポロArgentina Apollo、本名:Vincente Denigris1938年4月28日 - 1984年8月2日)は、アルゼンチンブエノスアイレス出身のプロレスラー。生年は1941年[3]または1943年[1]など諸説あり。

アメリカでは、ビットリオ・アポロVittorio Apollo)のリングネームでも著名。同郷の先輩アントニオ・ロッカと同様、アクロバチックなファイトを売り物とする素足のベビーフェイスとして活躍した。

地元ブエノスアイレスの体育専門高校で体操競技を専攻し、オリンピックを目指したこともあったが、故郷の英雄アントニオ・ロッカに憧れ1958年にプロレス入り[3][4]

ロサンゼルス地区を経て、1960年代ニューヨークWWWFで活躍。ブルーノ・サンマルチノをはじめエドワード・カーペンティアボボ・ブラジルなどスター選手のパートナーに起用され、スカル・マーフィー&ブルート・バーナードジョニー・バレンド&マグニフィセント・モーリスファビュラス・カンガルーズアル・コステロ&ロイ・ヘファーナン)などと対戦。1961年1962年には、アメリカ武者修行時代のジャイアント馬場ともワシントンDCなどで対戦した[5][6][7]

1962年11月14日にはオハイオ州トレドにてバディ・ロジャースNWA世界ヘビー級王座に挑戦[8]1964年2月にはドン・マックラリティと組んでクリス・トロス&ジョン・トロスからWWWF・USタッグ王座を奪取[9]。以降、ジェリー・グラハム&エディ・グラハムと抗争を展開した。

NWA圏では1970年4月20日、ホセ・ロザリオと組んでNWAフロリダ・タッグ王座を獲得[10]ダスティ・ローデス&ディック・マードックテキサス・アウトローズともタイトルを争った。フロリダでは5月20日にマイアミビーチにてドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座に挑戦[11]。9月にはマサ斎藤とのシングルマッチも度々行われた[12][13]

以降、ミッドアトランティックジョージアなど南部地区での活動を経て、1975年には北東部で旗揚げされた独立団体IWA(インター・ナショナル・レスリング・アソシエーション)に参戦[4]。ルイス・マルティネスとのコンビでジート&ボロザ・モンゴルズと抗争し、元WWWF世界ヘビー級王者イワン・コロフとも対戦した[14]

日本には1973年1月、ドン・レオ・ジョナサンウイルバー・スナイダーゴードン・ネルソンメヒコ・グランデなどと共に全日本プロレスに参戦[15]。翌1974年3月にはテキサス・マッケンジートニー・マリノザ・ブルートジム・ブランゼルセーラー・ホワイトらと共に国際プロレスに来日している[16][17]

1984年8月2日、死去[2]

得意技

獲得タイトル

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI