アルツヴァシェン

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アルツヴァシェン
Արծվաշեն
(Başkənd)
アルツヴァシェンの位置(アルメニア内)
アルツヴァシェン
アルツヴァシェン
座標: 北緯40度38分 東経45度30分 / 北緯40.633度 東経45.500度 / 40.633; 45.500座標: 北緯40度38分 東経45度30分 / 北緯40.633度 東経45.500度 / 40.633; 45.500
アルメニアの旗 アルメニアアゼルバイジャン軍が占領中)
地方アルメニアの旗ゲガルクニク地方法令上
アゼルバイジャンの旗ガダバイ県アゼルバイジャン語版(事実上)
設置1854年
面積
  40 km2
人口推移[1]
人口
1873
1,015
1897
1,847
1926
2,909
1939
4,280
1959
4,112
1970
3,368
1979
2,771

アルツヴァシェンアルメニア語: Արծվաշեն, 「鷲の街」の意)は、アルメニアゲガルクニク地方に属する村。飛び地であり、周囲は完全にアゼルバイジャンによって囲まれている。面積は約40平方キロメートルナゴルノ・カラバフ戦争の結果、1992年以来アゼルバイジャン軍によって占領されている[2]アゼルバイジャン語での公式名称は「バシュケンド」(Başkənd)[3]。今日ではアゼルバイジャン軍がアルメニア人を追い出したため、住民のほとんどがアゼルバイジャン人である[4]。アゼルバイジャンは、この村をガダバイ県アゼルバイジャン語版の一部として統治している。

現在の村は1854年に「バシュケンド」(アルメニア語: Բաշքենդ)としてチョラタンロシア語版出身のアルメニア人によって設置された。実際には、1607年にはアルメニア人が住んでいたとの記録が、町のスルブ・ホヴハンネス教会に残っている。後にバシュケンドからの移民が設置した「ノル・バシュケンド」(新バシュケンド)と区別する為に「ヒン・バシュケンド」(旧バシュケンド、Հին Բաշքենդ)に変更された。

ナゴルノ・カラバフ戦争中の1991年5月、アルメニア内務大臣は、アルツヴァシェンの住民は武装解除によって軍事占領を免れたと報告した[5]。『ニューヨーク・タイムズ』によると、翌年にはアゼルバイジャンが軍事力を以て町を「解放」したと宣言した。アゼルバイジャンは敵の戦車を破壊し、300人のアルメニア人「略奪者」を殺害した。アルメニア側の報告では死者はいないが29人が「跡形も無く消えている」[6]アルメニア大統領レヴォン・テル=ペトロシャンは、「宣戦布告の無い戦争」を起こしたとアゼルバイジャンを非難する電報をCIS指導者に送った。電報では「CISの集団安全保障の参加国に対して侵略が発生した」と述べられている[6]

アルツヴァシェン絨毯

著名な出身者

参考

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