アルトゥール・クルツ
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現在のオーストリア中部シュタイアーマルク州のザンクト・ガレン(Sankt Gallen)で生まれた。父親は商人でザンクトガレンの市長も務め、貯蓄銀行の創設者になった人物である。11人兄弟の一人で兄のアウグスティン・マリア・クルツ=ガレンシュタイン(Augustin Maria Kurtz-Gallenstein: 1856-1916)は風景画家になり、弟のオスカー・クルツ(Oskar Kurtz, 1863–1927)は画家、発明家になった。
アルトゥール・クルツは1884年から1886年までグラーツの絵画学校で学んだ後、ドイツのミュンヘン美術院で人物画のヨハン・カスパー・ヘルテリッヒやルートヴィヒ・フォン・レフツに学んだ[1]。フランツ・フォン・レンバッハやフランツ・デフレガーといった画家と活動し、ミュンヘンやウィーン、バーデン・バイ・ウィーン、 ゼンメリング、ハンガリー各地を訪れ、イギリス貴族やオーストリア貴族に人気のある肖像画家になった。1892年にはウィーンのクルツの工房を訪れたオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇后エリーザベトの肖像画を描いた。現チェコの温泉保養地マリアンバート(Marienbad)で、イギリス王エドワード7世の肖像画も描いた。
著作家としては「Allerlei brauchbarer Unsinn - Weltperpetuum.(さまざまな有用なナンセンス-世界の永久運動 」という著作などがある[2]。
1917年にバーデン・バイ・ウィーンで亡くなった。