ミュンヘンに戻ると、ワイマールに新設されたザクセン公国の美術学校の教授の位置が提供され、戸外への写生旅行で学生を指導した。2年ほどで教授を辞め、1863年に、新しいパトロンの支援でイタリアに旅した。1866年にミュンヘンに戻り、翌年のパリ万国博覧会で金賞を獲得し、弟子のエルンスト・フリードリヒ・フォン・リプハルト(Ernst Friedrich von Liphart)とスペインを訪れ、1年間、滞在し、スペインの巨匠の作品の模写を行った。1869年のガラス王宮の展覧会で金賞を受賞し、人気が高まり、1870年以降は1873年恐慌の影響の小さかったウィーンをしばしば訪れ、肖像画を描いた。