アルフォンソ・デ・ヴィヌエサ
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フォーミュラ3
1984年にヨーロッパ・フォーミュラ3選手権でレースデビュー、エディ・ジョーダン・レーシングに所属した。1985年はドイツ・フォーミュラ3選手権に参戦。1986年もドイツF3に引き続き参戦し、1勝を挙げシリーズ7位となった。同年は国際F3000選手権にもスポット参戦した。
フォーミュラ3000
1987年にBSオートモーティブとフルタイム参戦の契約を結び、国際F3000への本格参戦初年度となった。チームメイトはミシェル・フェルテ。しかし、第3戦スパ・フランコルシャンで負傷し以後を欠場。その間にフェルテは表彰台に立つなど活躍し、デ・ヴィヌエサはシーズン後半の2レースで復帰したが、予選落ちであった。シーズン最高順位は開幕戦シルバーストンでの6位だった。
1988年は前年ステファノ・モデナにタイトルをもたらしたチャンピオンチームであるマールボロ・オニクス・レーシングへ移籍。チームメイトはフォルカー・ヴァイドラーであった。しかしデ・ヴィヌエサは開幕から3連続で予選を通過できず、チームとの契約は解除されシートをラッセル・スペンスのために明け渡しオニクスを去った。その後はタンチェスター・レーシングとマジウィック・インターナショナルのシート獲得に成功してスポット出場したが、成績は上げられなかった。デ・ヴィヌエサは同年限りでプロレースから退いた[1]。