幼少期についてはほとんど知られていないが、ローマにいたこと、ロレーヌでギーズ公シャルルに仕えていたことは分かっている。1562年に(おそらくおじに同行して)初めてイングランドに渡り、エリザベス1世の宮廷楽師として雇われる。議論の余地がなくはないものの、おそらくローマ教皇や宗教裁判所の認可を得ずにイングランド入りをしていながら、生涯を通じてイタリア入りを繰り返している。イタリアでは相続権を失う一方、イングランドでは(窃盗や殺人などの)犯罪に手を染めたとして告発されている。首尾よく汚名を雪ぐことができたものの、1578年にイングランドを去って二度と渡英せぬまま、ボローニャにて他界した。
当時のイングランドは反カトリック陣営の旗手であり、また当時は複雑な国際情勢に通じた文化人が政治的に必要とされたことも相俟って、フェッラボスコがエリザベス1世の秘密諜報員であったとする意見が多い。実際フェッラボスコは、当時のイングランドの宮廷楽師としては異例なほどの高給取りであった。とはいえ、このような憶測は状況証拠以上の根拠がないのも事実である。エリザベス1世は1580年以降にたびたびフェッラボスコを呼び戻そうとしたものの、成功しなかった。