アルフレート・クルップ
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1812年、ドイツのエッセンで生まれた。父のフリードリヒは発明家で、水車を動力にした木造の作業場をライン川の岸に建設し、当時イギリスが独占していた鋳鋼の製造を試みていた。しかし彼の試みは成功することなく、長男のアルフレートが14歳になった1826年、父は失意のうちに窮死し、作業小屋と数人の職人は息子に受け継がれた。彼は工房にひきこもって実験を繰りかえし、数年後ついに鋳鋼の製造に成功する。彼は弟たちとも協力し、食卓ナイフや工具、やがて鋳造機などを作って販売し、借金を返済して事業を軌道に乗せる。
1834年にドイツ関税同盟が発足してドイツ諸邦間の人的・物的な交流が促進されたこと、さらに急速に鉄道網の整備が進められた時期だったことを背景に、鉄鋼を増産させて会社を急成長させた。また、1871年のドイツ社会民主労働党のゼネラルストライキをきっかけに[2]社内で疾病保険、養老保険などを整備して労働者の保護を図ったことはのちのドイツ帝国における社会保険制度に影響を与えた。
「鉄血政策」によるドイツ統一を進めていたプロイセンを兵器面で支え、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(デンマーク戦争)、普墺戦争、普仏戦争において、クルップ社の大砲は重要な役割を果たした。死後、事業は息子のフリードリヒ・アルフレート・クルップに受け継がれた。
1873年に建てた大邸宅ヴィラ・ヒューゲルは、現在でも観光名所とされている。
