アルブルケルケ
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| 州 | |
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| 県 | |
| 司法管轄区 | バダホス |
| 面積 | 723.23 km² |
| 標高 | 506m |
| 人口 | 5,340 人 (2018年[1]) |
| 人口密度 | 7.38 人/km² |
| 住民呼称 | alburquerqueño/-ña |
| 自治体首長 (2011年) |
Ángel Vadillo Espino (PSOE) |
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北緯39度13分00秒 西経07度00分00秒 / 北緯39.21667度 西経7.00000度座標: 北緯39度13分00秒 西経07度00分00秒 / 北緯39.21667度 西経7.00000度
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アルブルケルケ (Alburquerque)は、スペイン・エストレマドゥーラ州カセレス県のムニシピオ(基礎自治体)。アメリカ合衆国ニューメキシコ州のアルバカーキの名称はアルブルケルケに由来する。
人口
歴史
アルブルケルケとは、ラテン語で白いオークを意味するAlbus querqusに由来する。アラブ支配時代にはアブ=アル=クルク(Abu-al-Qurq、コルクガシの土地)と呼ばれた。これはコルクガシが豊富にあったことを意味する。アルブルケルケという名はアメリカ大陸やフィリピンへ伝わった。
ローマ属州ヒスパニア時代から定住地があったアルブルケルケだが、現在の町並みは中世からの豊かな遺産である。旧市街を見下ろす山の上には、難攻不落と言われたルナ城が建っている。そしてその城壁内にはゴシック様式のユダヤ人地区があり、ビリャ・アデントロ(villa adentoro)と呼ばれていた。狭い通りには、尖った鴨居を持つ家々が並んでいる。そのいくつかには、持ち主が1492年のユダヤ人追放以前に住んでいた、ユダヤの出自を持つことを明らかに示すものがあるのである。
ポルトガル国境に近いアルブルケルケは、常に対ポルトガル戦争と関係を持ってきた。古代には連続して戦いが起き、町が破壊された上、兵士に勧誘された男たちが戦場で命を落としたために、町が閑散としたこともあった。
アメリカ大陸およびフィリピンの植民地時代、多くのアルブルケルケの男たちが海を渡り様々な成功を収めた。新天地で死んだ者もいれば、金持ちになって帰国した者もいた。ナバロ・デル・カスティーリョによれば、アメリカやフィリピンのコンキスタドールとなった者は96人いたという。カラカス建設者の一人フアン・カスタニョは、ベネズエラの都市エル・トクヨ建設に参加していた。一方、フアン・ルイス・デ・アクレはペルー征服に関わった。彼はアタワルパの身柄拘束の間の出来事を年代記に記し、カハマルカからクスコへのピサロ軍の行程を書き残した。
経済
政治
自治体首長はエストレマドゥーラ社会労働党(Partido Socialista Obrero Español de Extremadura)のアンヘル・バディージョ・エスピーノ(Ángel Vadillo Espino)[4]で、自治体評議員は、エストレマドゥーラ社会労働党:11、エストレマドゥーラ国民党(Partido Popular de Extremadura):2となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[5]。
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司法行政
アルブルケルケはバダホス司法管轄区に属す[10]。
