アルブレヒト・フォン・ハラー

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アルブレヒト・フォン・ハラー

アルブレヒト・フォン・ハラー(Albrecht von Haller、1708年10月16日 - 1777年12月12日[1])は、スイス生理学者解剖学者医師植物学者詩人。1757年から1766年に書かれた『人体生理学原論』("Elementa physiologiæ corporis humani")8巻で、筋肉の収縮や近代的神経系理論を構築した。

ベルンの名家に生まれた[2]。1723年にテュービンゲン大学に学び、1725年にオランダのライデン大学の有名な医学者、ヘルマン・ブールハーフェや解剖学者、ベルンハルト・ジークフリート・アルビヌスのもとで学び1727年に卒業し、イギリス・フランスの病院などで学び、1728年にスイスに戻った。バーゼル大学で植物学を学んだ後、1729年からベルンで医師として働いた。

新たに創立されたゲッチンゲン大学の解剖学・植物学・外科学の初代教授に1736年に任命され、ハラーは大学の植物園や解剖教室(解剖劇場)を設立した[3]。大学教授の他に、枢密顧問官、大臣や王室侍医を務め、神聖ローマ皇帝フランツ1世から貴族に称号を受けた[4]。1750年ドイツの科学アカデミーレオポルディーナの会員に選ばれた。

1753年に家族とベルンに戻り、ベルンでは著作とともに、孤児院の共同経営や製塩工場の所長、エーグルの副市長などを務めた。ベルンでは後に植物商となるトマ家(Famille Thomas)とナント峡谷(Vallon de Nant)の植物を研究した。1769年にゲッチンゲンにもどるように要請があった時も家族の反対でベルンに残った。

医学史におけるハラーの業績は解剖学においては人体の血管網を調べるなどのために数百体の人体の解剖を行ない図譜を残した。動物実験も行い、主著の『人体生理学原論』では生体の仕組みを筋肉のように刺激を受けて収縮する「被刺激性」の器官と感覚を伝える「感覚性」の器官に分類して記述し、近代的な生理学のパイオニアとなった。

詩人としては1729年にアルプス地域を経由した旅行について、詩「Die Alpen」を発表した。

孫に保守主義の法学者カール・ルートヴィヒ・フォン・ハラー(Karl Ludwig von Haller)がいる。

著書の図版

科学の著作

脚注

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