アルベルト・ベラサテギ
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| 基本情報 | ||||
| 国籍 |
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| 出身地 |
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| 居住地 | ベリャテラ | |||
| 生年月日 | 1973年6月28日(51歳) | |||
| 身長 | 172cm | |||
| 体重 | 65kg | |||
| 利き手 | 右 | |||
| バックハンド | 片手打ち | |||
| ツアー経歴 | ||||
| デビュー年 | 1991年 | |||
| 引退年 | 2001年 | |||
| ツアー通算 | 15勝 | |||
| シングルス | 14勝 | |||
| ダブルス | 1勝 | |||
| 生涯通算成績 | 325勝258敗 | |||
| シングルス | 278勝199敗 | |||
| ダブルス | 47勝59敗 | |||
| 生涯獲得賞金 | $4,676,187 | |||
| 4大大会最高成績・シングルス | ||||
| 全豪 | ベスト8(1998) | |||
| 全仏 | 準優勝(1994) | |||
| 全英 | 1回戦(2000) | |||
| 全米 | 2回戦(1993・96) | |||
| 4大大会最高成績・ダブルス | ||||
| 全豪 | 1回戦(1998・2000) | |||
| 全仏 | 1回戦(1999) | |||
| 全英 | 出場なし | |||
| 全米 | 3回戦(1997) | |||
| キャリア自己最高ランキング | ||||
| シングルス | 7位(1994年11月14日) | |||
| ダブルス | 55位(1997年10月6日) | |||
アルベルト・ベラサテギ(Alberto Berasategui, 1973年6月28日 - )は、スペイン・バスク自治州ビスカヤ県ビルバオ出身の男子プロテニス選手。1994年全仏オープン男子シングルス準優勝者。シングルス自己最高ランキングは7位。ATPツアーでシングルス14勝、ダブルス1勝を挙げた。彼のテニスは、とりわけラケットのグリップに大きな特徴があり、極端に厚いウエスタングリップ、通称エクストリーム・ウエスタングリップから繰り出される独特なフォアハンド・ストロークを最大の武器にした。
7歳からテニスを始め、1991年にプロ入り。1993年にブラジル・オープンでツアー初優勝。1994年全仏オープン男子シングルスで、ベラサテギは世界ランキング23位のノーシードから決勝まで勝ち上がった。その過程では2回戦でセドリック・ピオリーン、3回戦でエフゲニー・カフェルニコフ、準々決勝でゴラン・イワニセビッチを破った。決勝戦ではベラサテギと大会前年優勝者セルジ・ブルゲラによる、テニス4大大会史上初の「スペイン対決」が実現した。スペイン国王フアン・カルロス1世も観戦した決勝で、ベラサテギはブルゲラに3-6, 5-7, 6-2, 1-6で敗れて準優勝に終わった。ブルゲラはこの勝利で全仏オープン2連覇を達成した。この快挙は、ベラサテギが21歳の誕生日を迎える3週間前の出来事だった。これで波に乗ったベラサテギは、ATPツアーシングルスで一気に7勝した。
その後、ベラサテギは1996年にツアーで年間3勝を記録する。同年3月下旬のハサン2世グランプリ1回戦では、マルセロ・フィリピーニとデュース「28回」のゲームを繰り広げた。この試合は6-2, 6-3でベラサテギが勝った。1998年全豪オープンでは3回戦で1997年全米オープン優勝者のパトリック・ラフターを破ったが、準々決勝でマルセロ・リオスに7-6, 4-6, 4-6, 0-6で敗れた。同年4月にポルトガル・オープンでツアー14勝目を挙げたが、これがベラサテギの最後のツアー優勝になった。
1999年頃から、彼のテニス成績は下降線をたどり始める。最後のATPツアー決勝進出は、1999年10月第1週のシチリア国際大会で、アルノー・ディ・パスカルに1-6, 3-6で敗れた。ベラサテギは2001年4月、地元バルセロナ・オープン1回戦敗退を最後に現役を引退した。