アルマス・リンドグレン
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前半生と職歴
アルマス・リンドグレンは1874年11月28日ハメーンリンナ生まれ、ヘルシンキ工科大学で建築を学び、1897年に卒業。学生ながらジョセフ・ステンバックとグスタフ・ニーストロムというフィンランドの名前の通った建築家2人の手伝いをする。1898年から翌99年にかけてスウェーデンやデンマーク、ドイツやフランス、イギリスで美術と文化の歴史を学んだ。それに先立つ1896年にはヘルマン・ゲセリウスとエリエル・サーリネンと3人共同でゲセリウス・リンドグレン・サーリネン建築事務所を立ち上げている。同所はフィンランド国立博物館(ヘルシンキ)など、いくつかの重要なプロジェクトを実現させた[1][2]。
- リンドグレン(前列右、1896年[注釈 1])
- ケンペレ教会、1896年。
- 左からリンドグレン、エリエル・サーリネン、ヘルマン・ゲセリウス。1890年代後半(中央右はアルベルティナ・エストマン)Daniel Nyblin撮影。
教職
1900年、美術史の教師としてヘルシンキ工科大学で働き始める。1902年から1912年まで中央応用芸術学校(のちのヘルシンキ芸術デザイン大学)の芸術学部長[3]を務めた。1905年、リンドグレンはゲセリウス・リンドグレン・サーリネン事務所を離れ、1908年に自分の事務所を設立した。その事務所にBertel Liljequistが1916年に入所した[1]。
リンドグレンは1910年代にWivi Lönnと緊密に協力し、1910年にヘルシンキ新学生会館 (Uusi ylioppilastalo)を一緒に設計した。コルプ修道院も1911年に、
教授職
リンドグレンは1919年にグスタフ・ニーストロムに代わってヘルシンキ工科大学建築学教授に就任[2]、著名なフィンランドの建築家アルヴァ・アールトを教え、影響を与えることになる[5][1]。