フィンランド中部の西スオミ州のコルピラフティ(Korpilahti、現在はユヴァスキュラの一部)で牧師の家に生まれた。芸術好きの両親の友人には、著名な芸術家が何人かいた。1905年から1907年までフィンランド美術協会(Suomen Taideyhdistys、後にフィンランド美術アカデミーになる。)の絵画学校で学び、1908年から1909年まではパリで「バンド・ノワール」の画家シャルル・コッテのアトリエで学んだ。1910年にフィンランドで初の個展を開き、1912年に再びパリで修行をし、ブルターニュやスペインも旅した。
1916年末、テュコ・サッリネン(Tyko Sallinen: 1879-1955)らと 表現主義の美術家グループ「11月グループ(Marraskuun ryhmä)」の創設メンバーとなった。第一次世界大戦後の1919年にデンマークやイタリア、スペイン、フランスを旅し、その年、フィンランド美術協会の絵画学校の教師となり、1921年までそこで教えた。
1924年に画家のレグニ(Ragni Cawén、旧姓Holmberg、1891-1981)と結婚し[5]、再びイタリア、フランス、ベルギー、オランダを旅し、1929年にフィンランド美術協会の会員に選ばれた。
1935年3月にヘルシンキで49歳で亡くなった[6]。