アレクサンドル・カラム
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スイス西部、ヴォー州のヴヴェイで、石彫職人の息子に生まれた。15歳で銀行に就職し、余暇にスイスの風景を描くようになり、1829年に銀行家の兄の支援で風景画家のフランソワ・ディデー(Francois Diday: 1802-1877)に学ぶことができるようになり、数か月後に画家になることに決めた。
アルプス山脈の山地や森林を描いた作品を1835年からパリやベルリンの展覧会に出展を始め、特にドイツで人気がでた。1838年には、デュッセルドルフに滞在し、1842年にはパリにでてモンブラン、ユングフラウなど有名なスイスの山を描いた作品を展示した。1843年にジュネーヴの画家で音楽教師のジャン・バティスト・ミュンツベルガー(1794-1878)の娘、アメリと結婚した。
1844年にイタリアを旅し、ローマとナポリで数多くの絵画を描いた。ジュネーヴで美術教師として働き、弟子にはAdolf Mosengel(1837 -1885)らがいる[1]。
1847年にベルギーの王立科学・文学・美術アカデミー(Académie royale des Sciences, des Lettres et des Beaux-Arts de Belgique)の準会員に選ばれ、1850年から1851年まで、オランダ王立芸術科学アカデミーの会員であった[2]。
1884年にフランス、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の景勝地のマントンで死去。