現在のエストニアのタルトゥ(ドルパット)に聖職者の息子に生まれた。1816年にサンクトペテルブルクの教員養成機関、師範学本校(Главный педагогический институт)に入学し、1823年に卒業した。サンクトペテルブルク科学アカデミーが関連したフョードル・リトケが率いたセニャーヴィン号の探検航海に博物学者として参加したのは1826年から1829年の間である。この探検航海には、科学者として、動物学者のハインリヒ・フォン・キットリッツ、植物学者のカール・ハインリヒ・メルテンスも参加した。この探検で多くの博物標本を持ち帰り、その後の数年間はその標本の研究を行った。それらの研究に対して、1941年に科学アカデミーが受賞者を決めるデミドフ賞を受賞し、聖ヴラディーミル勲章第4等級を受勲した。
1830年から鉱物学者、ソコロワ(Dmitry Ivanovich Sokolov)の助手を務め、1831年にサンクトペテルブルク大学の鉱物学、地理学の准教授、鉱物博物館の学芸員を務め、1836年からは師範学本校の鉱物学の准教授、教育総監や学校の校長なども務めた。ロシア大公女エカチェリーナ・ミハイロヴナやオルデンブルク大公国の公子ピョートル・ゲオルギエヴィチ・オリデンブルクスキーの娘などに博物学の教育も行った。
海草の属名、Postelsia はポステルスに因んで命名された。