ハインリヒ・フォン・キットリッツ
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ブレスラウで生まれた。キットリッツ家は12世紀に始まるプロイセンの男爵家である。父親はプロイセン軍の将校で、母親はロシア軍の軍人の家系の娘で、有名なロシアの将軍、ハンス・カール・フォン・ディービッチュは叔父にあたる。プロイセン軍の軍人として働き、マインツの駐屯地などで働いたが、鳥類学への関心を強くした。1825年に軍を辞め、母親のコネクションで、サンクトペテルブルク科学アカデミーが関連したフョードル・リトケが率いる、アラスカ沿岸を含む探検航海に植物学者のカール・ハインリヒ・メルテンス、鉱物学者のアレクサンドル・ポステルスとともに博物学者として参加することになった。
1826年2月から1829年9月まで行われたこの探検航海で、キットリッツは214の鳥類の種の764点の標本を収集し、サンクトペテルブルク科学アカデミーの博物館にもたらした。その中には現在は絶滅した種も含まれている(探検隊は小笠原諸島にも立ち寄っており、キットリッツはオガサワラカラスバトやオガサワラマシコ、オガサワラガビチョウといった絶滅種を採集した)。1844年にこの航海に関する著書"24 Vegetationsansichten von den Küstenländern und Inseln des Stillen Ozeans"(『太平洋の沿岸と島嶼の24の植生状態』)を発表した。
1831年には友人のドイツの鳥類学者、エドゥアルト・リュッペルと北アフリカを訪れたが、健康を害し帰還しなければならなかったが、エジプトで乗り継ぎの船を待つ間に新種の鳥類、Charadrius pecuarius(和名ヒメチドリ)を発見し英名は Kittlitz's Ploverと呼ばれることになった。