アレクセイ・タラソヴィチ・マルコフ
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ノヴゴロドで時計職人の息子に生まれた。サンクトペテルブルクの帝国芸術アカデミーでアンドレイ・イワノビッチ・イワノフ(Andrey Ivanov)やアレクセイ・エゴロフ(Alexei Yegorov)、ワシリー・シェブエフ(Vasily Shebuyev)に学んだ。1824年に卒業し、いくつかのメダルを受賞して1825年に奨学金を得て修行を続け、1830年に国外留学奨学金を得て[1][2]ドレスデンに留学し、その後ローマを訪れラファエロの「システィーナの聖母」や「ボルゴの火災」の模写をして修行し、1836年の展覧会に出展されたれた作家イヴァン・クルィロフの寓話「Fortuna and a Beggar」にを題材にした絵画を描き、アカデミーの会員に選ばれた。1842年に描いた宗教画で助教授に任命され、10年後に、教授に昇進し[1]、1865年に特別教授の称号を授与された。マルコフに学んだ画家にはヴォイチェフ・ゲルソン(1831-1901)やグリゴリー・ミャソエドフ(1834-1911)、イワン・クラムスコイ(1837-1887)、アレクサンドル・イワノビッチ・モロゾフ(1835-1904)らがいて、美術教師としての評価が高い。
歴史画の他に、教会などの壁画、装飾画も制作し、有名な作品にはサンクトペテルブルクの聖イサアク大聖堂の装飾画やモスクワの救世主ハリストス大聖堂の天井画などがある。
1878年にサンクトペテルブルクで亡くなった。