アレグザンダー1世 (スコットランド王)
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生涯
兄エドガーの跡を継いで王となったアレグザンダー1世は、その遺言通りスコットランドの中部と北部のみを直接統治し、弟のデイヴィッド(後のデイヴィッド1世)には南部を統治させ、その他の地域は領主に任せきりであった。しかし、1115年ごろに起きた北部のマリや西部のマーンズでの反乱には徹底的な討伐を行い、その過酷さから獰猛王と呼ばれることになった[3]。
アレグザンダー1世はイングランド王ヘンリー1世の庶子シビラを王妃とし、イングランドとの関係を深めていった。アレグザンダー1世の妹マティルダがすでにヘンリー1世に嫁いでおり、アレグザンダー1世はヘンリー1世の義兄であるとともに婿という関係にあった[2][4][5]。
アレグザンダー1世は宗教の面でもイングランド色を強め、キリスト教の影響力がさらに強まっていった。当時スコットランドはイングランド北部のヨーク大司教の管轄にあったが、ローマ教皇にこうした状況を改めるように請願し、セント・アンドリューズの司教を独自に招致したりした[5][6]。
1124年4月23日、アレグザンダー1世はスターリングで没した。前年の1123年にフォース湾へ船釣りをした時に嵐で遭難、インチコム島で救助され帰還したが、助かるまで溺れかけて衰弱したことが死因とされる。妃シビラとの間に子供はなく、弟のデイヴィッド1世が王位を継いだ[5][7]。