アレックス・ウバゴ
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| アレックス・ウバゴ Alex Ubago | |
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| 基本情報 | |
| 出生名 | Alejandro Martínez de Ubago Rodríguez |
| 生誕 | 1981年1月29日(44歳) |
| 出身地 |
バスク州アラバ県ビトリア=ガステイス |
| ジャンル | ポップ |
| 職業 | シンガーソングライター |
| 担当楽器 | ボーカル・ギター・ピアノ |
| 活動期間 | 2000年 - |
| 共同作業者 | アマイア・モンテーロ |
| 公式サイト | http://www.alexubago.com/ |
アレックス・ウバゴ(Álex Ubago, 1981年1月29日 - )は、スペイン・ビトリア=ガステイス出身のシンガーソングライター。フルネームはアレハンドロ・マルティネス・デ・ウバゴ・ロドリゲス(Alejandro Martínez de Ubago Rodríguez)。心を揺さぶる声とバラードで知られている。
1981年にバスク州アラバ県ビトリア=ガステイスに生まれ、4歳の時にギプスコア県サン・セバスティアンに引っ越した。作曲は独学であり、15歳の時に初めての曲を書いた[1]。いとこのダビドもミュージシャンであり、ホームスタジオを持っていた。ウバゴはガールフレンドにプレゼントとして贈るために、何曲か作曲してダビドと連絡を取り、ふたりはウバゴのコンピレーション・デモテープを録音した。このデモテープには『Sabes』や『Hay Que Ver』などの曲が収録されていた。音楽マネージャーのイニゴ・アルゴマニスはダビドが経営するバルの常連であり、そこでウバゴが製作した略式のデモテープを聞き、ウバゴに楽曲制作の素材を提供した。ウバゴは徐々に新曲の録音を進め、何曲かの新曲をDROアトランティックのアートディレクターであるアルフォンソ・ペレスに渡した後、2000年10月にDROアトランティックと契約を締結した。
2002年にはオンダス賞の最優秀国内アーティストとなり、アミーゴ賞では最優秀アーティスト、最優秀男性アーティスト、最優秀アルバム部門を受賞した。22歳だった2003年にデビューアルバム『¿Qué pides tú?』を発表した[2]。ウバゴはギター片手に全国ラジオのツアーを開始し、生演奏してインタビューを受けた。この戦略が功を奏し、1stアルバムはスペインのアルバム・チャートで1位となった。ラ・オレハ・デ・バン・ゴッホのボーカルであるアマイア・モンテーロをゲストに招いた曲『Sin Miedo A Nada』(なにも恐れず)によって絶対的な名声を得て、この曲はウバゴにとって最大のヒットとなっている。1stアルバムのスペインでの売上は90万枚に達し、メキシコではダブルプラチナレコードとなった[3][4]。2003年のラテン・グラミー賞では新人賞にノミネートされたが、同じスペインのダビド・ビスバルが新人賞を受賞した[5]。
2004年には2ndアルバム『Fantasía o Realidad』を発表し、1stアルバム同様の成功をおさめた[2]。このアルバムはスペイン、ラテンアメリカ、アメリカ合衆国で好調な売上を記録し、スペインでは再びアルバム・チャート1位となった上に、ゴールドディスクに認定された。3rdアルバム『Calle Ilusión』では再びラテン・グラミー賞にノミネートされ、スペインのアルバム・チャートでは最高位3位となった[6][7]。
2006年にはアルバム『Aviones de Cristal』を発表し、その中の曲『Viajar Contigo』はビルボード・チャートで成功をおさめた。すぐにラテンミュージック・チャートの最高位を立ち、ローリング・ストーン誌を含むラテン諸国やスペインの娯楽雑誌には、連日のようにウバゴの顔写真が登場した。母国スペインではリリース後に100回以上のコンサートを行い、世界各国でプラチナレコードに認定された。
2010年、キューバ人歌手のレナ・ブルケや、元バシロスのメンバーであるコロンビア人のホルヘ・ビリャミサルとともに、アレックス、ホルヘ・イ・レナという名称の新プロジェクトを立ち上げた。アレックス、ホルヘ・イ・レナの1stシングルは『Estar Contigo』である。2011年、このトリオはロ・ヌエストロ賞のブレークアウト・グループ/デュオにノミネートされ、表彰式で『Estar Contigo』を披露した。