アンジェラ・マリーア・カテリーナ・デステ
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配偶者
カリニャーノ公エマヌエーレ・フィリベルト
子女
マリーア・ヴィットーリア
イザベッラ・ルイーザ
ヴィットーリオ・アメデーオ
トンマーゾ・フィリッポ・ガストーネ
イザベッラ・ルイーザ
ヴィットーリオ・アメデーオ
トンマーゾ・フィリッポ・ガストーネ
| アンジェラ・マリーア・カテリーナ・デステ Angela Maria Caterina d'Este | |
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カテリーナ・デステ、リゴーの追随者による、1690年頃 | |
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| 出生 |
1656年3月1日 |
| 死去 |
1722年7月16日(66歳没) |
| 配偶者 | カリニャーノ公エマヌエーレ・フィリベルト |
| 子女 |
マリーア・ヴィットーリア イザベッラ・ルイーザ ヴィットーリオ・アメデーオ トンマーゾ・フィリッポ・ガストーネ |
| 家名 | エステ家 |
| 父親 | ボルソ・デステ |
| 母親 | イッポーリタ・デステ |

アンジェラ・マリーア・カテリーナ・デステ(Angela Maria Caterina d'Este, 1656年3月1日 - 1722年7月16日)は、イタリアの貴族女性。モデナ公チェーザレ・デステの孫娘の1人で、カリニャーノ公エマヌエーレ・フィリベルトの妻。
チェーザレ公の五男ボルソ・デステと、チェーザレ公の次男ルイジ・デステの庶出の娘イッポーリタ・デステの間の第5子・次女。洗礼名は父及び外祖父の姉妹で修道院に入ったエレオノーラ公女の修道名ソル・アンジェラ・カテリーナに因む。生後間もなく両親を相次いで亡くし、3人の兄たちとともに外祖父のスカンディアーノ侯爵ルイジの手元で養育された。美人と評判であった。
1684年、サヴォイア家の分家筋のカリニャーノ公に求婚される。公は当時56歳と高齢でしかも聾唖の障害があったが、本家のモデナ公家は2人の結婚を許可した[1]。正式の婚礼に先立ちモデナで代理結婚式が行われ[2]、 新婦の兄の1人チェーザレ・イニャツィオ・デステが花婿役を務めた[2]。1684年11月10日、ラッコニージ城にて身内だけの簡素な婚礼が挙げられた。
カリニャーノ公は結婚当時サヴォイア公爵位の推定相続人の地位にあり、フランス王ルイ14世はフランス宮廷から彼に花嫁を送り込もうとしていたため、カテリーナの家柄が低くサヴォイア家に釣り合わないことを口実に、この結婚に反対した。2人の結婚に腹を立てたルイ14世はカリニャーノ公夫妻がフランス宮廷に参内する権利を剥奪した。