セビリアで生まれた。父親のホアキン・カブラル・ベハラーノ(Joaquín Cabral Bejarano)は画家で、アントニオ・カブラル・ベハラーノは最初、父親の工房で修行した後、1812年に再開されたセビリアの美術学校(Escuela de las Tres Nobles Artes de Sevilla)で学んだ[4]。1814年に父親とセビリアのトリニダード修道院(Convento de la Trinidad)の装飾画を描き、1816年にも公共施設の装飾画を描いた[5]。1823年に結婚した。
1825年から母校で教えはじめ、教えた学生にはアンドレス・コルテス・イ・アギラール(Andrés Cortés y Aguilar: 1812-1879)やマヌエル・バロン・イ・カリージョ(Manuel Barrón y Carrillo: 1814-1884)がいる。
1836年にマドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーの名誉会員に選ばれた[6]。1838年に設立されたセビリアの公立美術館の共同発起人となり初代館長を務めた。セビリア美術館では多くの絵画を模写し、修復もした。1850年にセビリア美術アカデミーの会員となり、芸術高等学校(Liceo Artístico)の共同創設者にもなった。1853年にはセビリア美術館の50点ほどのの絵画を売却したと非難され、館長を解任されるが、その年のうちに絵画を返還し、復職した[7]。
1861年にセビリアで亡くなった。息子のフランシスコ・カブラル・アグアド=ベハラノ(Francisco Cabral y Aguado Bejarano: 1824-1890)とマヌエル・カブラル・アグアド=ベハラノ(Manuel Cabral Aguado-Bejarano: 1827-1891)は画家になった[8]
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