アントニーノ・ボルツィ

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アントニーノ・ボルツィ

アントニーノ・ボルツィ(Antonino Borzì、1852年8月20日 - 1921年8月24日)はイタリアの植物学者である。メッシーナ植物園の園長などを務めた。

メッシーナ県カストロレアーレで生まれた。ヴァロムブローザ(Vallombrosa)の森林研究所で学び、教授の植物生理学者のフェデリコ・デルピーノから強い影響を受けた。

1879年からメッシーナ大学、1892年からパラレモ大学の植物学の教授を務めた。メッシーナでは、17世紀にカステリ(Pietro Castelli)によって作られたが、スペイン支配化で破壊されたメッシーナ植物園(Orto botanico di Messina)を再建し、 植物学研究所(l'Istituto di Botanica dell'ateneo)を創立した。パレルモでも植物園(Giardino Coloniale)をつくり、植物学研究所の創立に貢献した。1892年から1921年の間、パレルモ植物園の園長を務めた。植物の形態学、植物生理学を専門とした。

ルイージ・ブスカリオーニピエトロ・ロムアルド・ピロッタらの植物学者と植物学雑誌、"Malpighia"を創刊し、パレルモ植物園紀要を創刊した。

イタリア科学アカデミーアッカデーミア・デイ・リンチェイの会員に選ばれ、イタリア植物学会の会長も務めた。

スウェーデン語にも堪能で、スウェーデンの小説家、セルマ・ラーゲルレーヴの小説の翻訳も行った。1920年にウプサラ大学から名誉博士号を受けた。

サボテンの属名BorzicactusCleistocactusシノニム)に献名された[1]

著作

参考文献

脚注

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