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アントワーヌ・アルノー

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アントワーヌ・アルノー

アントワーヌ・アルノー(Antoine Arnauld、1612年2月6日 - 1694年8月8日)は、フランスの神学者、哲学者、数学者、論理学者、言語学者。ジャンセニズムの中心的人物。同名の父と区別するため、「大アルノー」と呼ばれる。ルイ14世の外務大臣を務めたシモン・アルノー・ド・ポンポンヌは甥に当たる。1694年にベルギーで亡くなったが、遺体は1710年にフランスに移送され、現在はパレゾーに安置されている。

アントワーヌ・アルノーはパリの裁判官の家系に生まれ、ソルボンヌ大学で神学を学んだ。その後、サン・シランの影響によりジャンセニズムに傾倒するようになる。ソルボンヌ時代に執筆したイエズス会批判の代表的著述に『イエズス会士たちの倫理神学』がある。ジャンセニスム弾圧の動きのなかで1656年にソルボンヌを追われ、以後ポール・ロワイヤル修道院で抵抗運動を組織する。この出来事はブレーズ・パスカルによる『プロヴァンシアル』執筆のきっかけとなる。

修道士の教育のために『ポール・ロワイヤル文法』(1660年、ランスロとの共著)、『ポール・ロワイヤル論理学』(1662年、ニコルとの共著)を著述した。1677年にイエズス会やプロテスタントとの論争を再開したが、1679年の庇護者の死を契機にスペイン領ネーデルラントに亡命し、ブリュッセルで客死した。

業績

参考文献

外部リンク

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