アントワーヌ・ドルレアン (モンパンシエ公)

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アントワーヌ・マリー・フィリップ・ルイス・ドルレアン:Antoine Marie Philippe Louis d'Orleans, 西:Antonio María Felipe Luis de Orleáns, 1824年7月31日 - 1890年2月4日)は、フランスの王族。モンパンシエ公。第3代ガリエラ公。

フランス王ルイ・フィリップと妃マリー・アメリーの末子として、ヌイイ城で誕生した。

1846年10月10日、マドリードスペイン王女ルイサ・フェルナンダ(スペイン女王イサベル2世の妹)と結婚した。この結婚により「スペイン王子アントニオ」(Infante Antonio de España)の称号も得た。アントワーヌはスペイン王女を妃としたことで、スペイン王位への野望を隠さなかった。1848年2月革命でスペインへ亡命した。義姉イサベル2世に対抗して、反・宰相フアン・プリム派を支持した。1870年には、王配フランシスコの弟セビーリャ公エンリケ・マリアと決闘して公を殺し、1ヶ月間投獄された。同年11月、イサベル2世に代わる国王の選挙がコルテスで行われた際、イタリア王子のアマデオ1世が191票を得て選ばれたのに対し、アントワーヌはわずか27票しか得られなかった。1888年、オルレアン派の重要な支援者の1人で個人的な友人でもあったマリーア・ブリニョーレ・サーレ・デ・フェラーリが死去した際、イタリアのガリエラ公爵英語版位と付属所領を遺贈されている。

妻との間に10子をもうけ、子供たちは皆スペイン王子・王女の称号を有した。

脚註

参考文献

関連項目

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