アントワーヌ・ド・ファヴレイ
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フランス北部、現在のセーヌ=サン=ドニ県のバニョレで生まれた。若い時代のことは知られていない。1738年にに在ローマ・フランス・アカデミーの校長に任じられた画家のジャン=フランソワ・ド・トロワに従ってローマに移ってきたトロワの弟子の一人であった。1739年にフランスに帰国した学生、フロンティエール (Jean-Charles Frontier)が住んでいた在ローマ・フランス・アカデミーの部屋を与えられ、ラファエロ・サンティの大作『ボルゴの火災』やグエルチーノ、ティツィアーノ・ヴェチェッリオの作品の模写をした[1]。
1744年にマルタを訪れ、1751年に聖ヨハネ騎士団に入会し、マルタの貴族の肖像画や修道院の装飾画を描くなどしていたが、スキャンダルでマルタを離れ、1762年にコンスタンティノープルに移った。コンスタンティノープルではフランスのトルコ大使ヴェルジャンヌ伯爵(Charles Gravier, comte de Vergennes)に気に入られ、トルコに9年間滞在した。ヴェルジャンヌ伯爵の家族の肖像画やトルコの風物を描いた。
再びマルタに戻り、92歳で亡くなるまでマルタで、画家、役人としても働いた。