ベルトランは3巻の大判のシャンソン集を出版し、晩年までに宗教曲集も出版した。世俗歌曲では、全部で84のシャンソンと1曲のイタリア語のマドリガーレが、またラテン語による宗教曲では10曲のイムヌスと3曲のモテットのほか、14のカンティクムが現存する。作品のほとんどは無伴奏の四部合唱のために作曲されている。ベルトランは『シャンソン集 第1巻』(1576年)の序文において、かなり初期のシャンソンも含めて曲集は全部で5巻か6巻になるはずだと触れ込んでいる。このことから、かなりの作品が未出版のまま残されたことが察せられよう。
シャンソン集の最初の2巻は四声のための曲集で、男女の逢瀬がまずい結果になるまでを描いたピエール・ド・ロンサールの『恋 Amours 』に作曲されている。和声法に関してベルトランの音楽語法は大胆で、ニコラ・ヴィチェンティーノの実験精神に近づいている。つまり微分音を用いて、いくつかの楽曲の表現手段としたのである。その極端な例が、《私はこんなに愛されて Je suis tellement amoureux 》の最後の7小節である。ここでベルトランは徹底して全音階的な書法を避け、「死」という言葉の部分の表現を除いて、ひたすら半音階的な音階進行と、異名同音の読み替えを続けている。しかしながら、1587年に死後出版された《私はこんなに愛されて》の異版では、四分音を避けた書き換えがなされた。微分音程があまりに歌い辛かったからである。ベルトランは序文において、数学的な精密さを避けたので、この曲がもし五感に訴えることができるならば、一番の会心の作となると述べている。
ベルトランはイタリア語のマドリガーレを1曲しか残していないが、明らかにシャンソンに影響された軽快な作風をとっていて、実質的にはヴィッラネッラになっている。だが、イタリア的な関心事(音画技法、異なるテクスチュアや拍子の対比と切り替え)にもきめ細かな配慮がなされている。
ベルトランの宗教曲と、霊的な詩による《宗教的エール集》や《キリスト教のソネット sonets chrestiens 》のような歌曲集の出版譜3点は、いずれも様式的に見れば同時代のユグノーの作曲家の詩篇唱の作風と密接な関係がある。旋律的にも和声的にも素朴で、全体的にホモフォニックなテクスチュアが保たれている。旋律はたいていグレゴリオ聖歌に基づいている。ベルトランの霊的な作品が、ベルトランより10年早くサン・バルテルミの虐殺でカトリック側に殺戮された、ユグノーのクロード・グディメルの宗教曲によく似ているというのは、興味深い偶然である。