アントワーヌ・バザン
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バザンはセーヌ=エ=オワーズ県のモンモランシーに近い Saint-Brice-sous-Bois(今はヴァル=ドワーズ県に属する)に生まれた[2]。弟に皮膚科学者として有名なエルネスト・バザン(フランス語版、1807-1878、バザン硬結性紅斑に名を残す)があり、弟と区別するために「Bazin aîné」(aînéは英語のelderにあたる)と呼ばれることもある。
はじめ法学を専攻したが、コレージュ・ド・フランスでアベル・レミュザ、ついでスタニスラス・ジュリアンに中国学を学んだ。阿片戦争後、中国での外交や貿易が大規模に拡大すると予想されていたため[2]、1843年に東洋言語学校に中国語の講座が設けられ、バザンはその初代教授に就任した。没するまでその地位にあった。