殺害犯ジュゼッペ・ザンガラ
1931年シカゴ市長選挙でセルマックはフランクリン・ルーズベルトの支援を受けて民主党候補者となり現職の共和党候補ウィリアム・ヘイル・トンプソンを破り勝利した。市長就任中には当時シカゴはアイルランド系と白人による政治と支配が続いており、これに不満をもったセルマックは「多民族連合」を創設し黒人などを民主党に加入させた。この政策によりシカゴは2025年現在も市長は民主党所属でありその基盤をつくったのがセルマックであった。またシカゴはアル・カポネを代表とするマフィアの支配下が強まることを恐れセルマックは市政を浄化させようと試みたが在任中に事件は起きた。1933年2月15日、フロリダ州マイアミにフランクリン・ルーズベルト次期大統領がパレードを開催していた。セルマックはルーズベルトと親しかったため一緒にパレードに参加していた。パレード中ルーズベルトに不満をもったイタリア系移民ジュゼッペ・ザンガラが4発発砲した。セルマックはルーズベルトを守るために盾となり銃撃を浴びた。他4人が撃たれた。病院で観客4人は命に別状はなかったがセルマックはかなりの重症を負っていた。セルマックはルーズベルトに対して「あなたが撃たれなくてよかった」と語ったという。3月6日の朝方ジャクソン記念病院で死亡した。59歳であった。ザンガラは死刑判決が言い渡され3月20日に電気椅子で執行された。