アントン・ヘルマン・シュタードラー
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アントン・ヘルマン・シュタードラー | |
|---|---|
| Anton Hermann Stadler | |
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シュタードラー作 「山の風景」 | |
| 生誕 |
1850年7月9日 オーストリア、ゲーレルドルフ(Göllersdorf) |
| 死没 |
1917年9月17日(67歳没) ドイツ、ミュンヘン |
トニ・フォン・シュタードラー(Toni von Stadler)として知られているアントン・ヘルマン・シュタードラー(Anton Hermann Stadler、1915年に爵位を得てリッター・フォン・シュタドラーと呼ばれるた、1850年7月9日 - 1917年9月17日)は、オーストリア生まれの画家である。1870年代末からミュンヘンで活動し、ミュンヘン分離派のメンバーであった。風景画を描いた。
オーストリアのニーダーエスターライヒ州ホラブルン郡のゲーレルドルフ(Göllersdorf)で役人の息子に生まれた。ウィーンやヴュルツブルクで医学と自然科学を学ぶが、1873年に画家になるために、大学を中退した。ベルリンに移りベルリンの美術アカデミーの教授パウル・フリードリヒ・マイヤーハイムに学び、1878年からはミュンヘンに移り、ロマン主義の画家アドルフ・シュテーブリ(Adolf Stäbli: 1842-1901)と知り合い、外光派のスタイルの風景画に興味を持つことになった。1893年に、シュタードラーはミュンヘン分離派の創立会員の一人となり、一時期ミュンヘン美術院の校長も務めた。ドイツ芸術家協会(Deutscher Künstlerbund)の初期メンバーであり[1]、1904年にミュンヘン分離派とドイツ芸術家協会の最初の共同展に参加した[2]。
バイエルン国王、ルートヴィヒ3世からバイエルン王冠功労勲章を受勲し、1915年3月に貴族に叙せられた[3]。
1917年にミュンヘンで亡くなった。息子(父親と同じようにトニ・シュタードラーとして知られている、Toni Stadler: 1888–1982)は彫刻家になった。