アンドリュー・ホワイト (サクソフォーン奏者)

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出生名 Andrew Nathaniel White III
生誕 (1942-09-06) 1942年9月6日
アンドリュー・ホワイト
Andrew White
ワシントンDCの自宅にて(2010年)
基本情報
出生名 Andrew Nathaniel White III
生誕 (1942-09-06) 1942年9月6日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
死没 (2020-11-11) 2020年11月11日(78歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 メリーランド州シルバースプリング[1]
ジャンル ハード・バップジャズ、前衛音楽
職業 ミュージシャン、ソングライター作詞家詩人作曲家音楽プロデューサー
担当楽器 サクソフォーンオーボエエレクトリックベースピアノ
活動期間 1960年 - 2020年
レーベル リバーサイド・レコード、Andrew's Music
共同作業者 JFKクインテット

アンドリュー・ホワイト1942年9月6日 - 2020年11月11日)は、アメリカジャズR&Bマルチ奏者サクソフォーンオーボエエレクトリックベース)、音楽学者、出版者。

学術方面

ホワイトはワシントンD.C.で生まれ[2]テネシー州ナッシュビルで育ち、当地で公立学校の教育を受ける。1960年9月にはワシントンD.C.に戻り、ハワード大学に入学した。1964年6月に音楽理論を主専攻、オーボエを副専攻として音楽学部学士課程を優等(cum laude)で卒業。大学卒業後は、オーボエの勉強を続けるため、ジョン・ヘイ・ホイットニー財団のフェローシップを受け、フランスのパリ音楽院に留学した。

サクソフォーン奏者として: ホワイトは、ハワード大学卒業と同時の1960年9月にワシントンD.C.のJFKクインテット (J.F.K. Quintet[3]、1961年-1963年)の一員としてジャズ・シーンに登場した。当クインテットは、リバーサイド・レコード にアルバムを2枚レコーディングしている。

以降、ケニー・クラーク (1965年)、オーティス・レディング (1967年)、マッコイ・タイナー (1970年)、エルヴィン・ジョーンズ (1980年-1981年)、ビーヴァー・ハリス (1983年)らと共演。ジュリアス・ヘンフィル・サクソフォーン・セクステット (1987年)、オランダのサクソフォーン・セクステット「The Six Winds」(1999年)の一員として、また、自身のサクソフォーン・セクステット「Andrew White's ZORROSAX ALLSTARS」(2002年)を率いるなど、サクソフォーン・アンサンブルとしての活動もしている。

加えて、ニューヨークのカーネギーホール (1974年と1975年)、リンカーンセンター (1990年と1995年)、タウンホール (1975年)、ワシントンD.C.のケネディセンター (1970年から2005年)、パリのシャトレ座 (1980年)、La Villa (1995年)でのソロ演奏や、1994年のフランス7都市でのソロ・ツアーをはじめ世界中で何百もの演奏活動を行った。

作曲家、出版者、指揮者、サクソフォーン奏者として: ホワイト作曲の「3 Jazz Parodies for Double Reed Sextet」は2003年6月にノースカロライナ大学 (ノースカロライナ州グリーンズボロ)において開催された国際ダブルリード協会の第32回大会で初演された[4]。演奏は、300名規模編成の大規模ダブルリード・オーケストラによる。

ホワイトのオーボエ奏者としての10年間は、1963年から1966年の夏にかけてマサチューセッツ州のタングルウッドで学ぶことに始まり、ダートマス大学のダートマス・コミュニティ・オーケストラでの演奏、1965年から1967年の2回のロックフェラー財団フェローシップによるニューヨーク州立大学バッファロー校のセンターオブクリエイティブ・アンド・パフォーミングアーツでの現代音楽の研究と演奏を経て、最終的には1968年から1970年の8月にかけてアメリカン・バレエ・シアターで首席オーボエ奏者を務めるに至った。

ホワイトのエレクトリック・ベーシストとしてのキャリアは1966年から1976年の10年間が充実している。 1968年から1970年8月まで、アメリカン・バレエ・シアター・オーケストラの主席オーボエ奏者を務める傍ら、シンガーソングライターのスティーヴィー・ワンダーのベーシストとして活動。その後、1970年から1976年まで、人気ポップスグループ「フィフス・ディメンション」のメインベーシストとして活躍。

エレクトリック・ベーシストとして特筆すべき録音は、1973年1月にコロムビア・レコードでのウェザー・リポートのアルバム『スウィートナイター』である[2]

2006年5月14日、パリのArts, Sciences et Lettresよりヴェルメイユ・メダルを授与される(250名中10位)

音楽学者としてのホワイトは自身の音楽出版社である、Andrew's Musicより『The Works of John Coltrane, Vols. 1 though 14: 701 transcriptions of John Coltrane’s Improvisations』を出版した。「The Soho News」 (ニューヨーク、1975年5月15日) にて、Peter Occiogrossoは「アンドリュー・ホワイトはジャズの言語学的な歴史において最も重要な貢献者であるジョン・コルトレーンを徹底的に入念に書き起こし、百科事典化し、目録化し、文書化し、自費出版した」と評した。ホワイトがジョン・コルトレーンの音楽について書いた書籍である『Trane and Me』(1981年) もまたこのような形で出版された。

2007年11月15日、ホワイトはハワード大学よりサックス奏者としてベニー・ゴルソン・ジャズマスター賞を授与された[5]。ハワード大学のアンドリューランキン記念礼拝堂にて表彰されるとともに、ハワード大学ジャズ・アンサンブル (ディレクター : Fred Irby)を従えた受賞記念コンサートが行なわれた。

晩年

ディスコグラフィ

脚注

外部リンク

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