アンナ・バルバラ・バンシ

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 (1777-02-26) 1777年2月26日
スイス、Fläsch
死没 1863年5月27日(1863-05-27)(86歳没)
フランス、パリ
アンナ・バルバラ・バンシ
Anna Barbara Bansi
ドミニク・アングルによる肖像画 (1797)
生誕 (1777-02-26) 1777年2月26日
スイス、Fläsch
死没 1863年5月27日(1863-05-27)(86歳没)
フランス、パリ
テンプレートを表示

アンナ・バルバラ・バンシ(Anna Barbara Bansi、1777年2月26日 - 1863年5月27日)はスイス生まれのフランスの画家である。フランス革命後にパリのサロンに作品を出展した女性画家の一人である。

スイス東部、グラウビュンデン州のFläschで福音派の牧師の娘に生まれた。貧しい境遇のため6歳の時、チューリッヒの慈善家が後見人になり、1786年に後見人とパリに移った[1] 。パリで絵画をフランソワ・ジェラールジョセフ=ブノワ・スヴェーに学んだ。1798年にパリのサロンに初めて出展した。ジョセフ=ブノワ・スヴェーが在ローマ・フランス・アカデミーの院長としてローマに赴任した後、1802年にイタリアに移った。一時期、ナポレオンの母親マリア・レティツィア・ボナパルトの侍女を務めた[2]。イタリア滞在中にローマ・カトリックに改宗した。1806年からローマに滞在した有名な画家になるジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル (1780-1867)はアンナ・バーバラ・バンシの素描を描き、この作品は現在ルーブル美術館に所蔵されている[1]

1808年にイタリアの外科医ロレンツォ・ナンノーニと結婚したが1812年に夫は亡くなった[3]。2年後パリに戻り、パリのサロンでマダム・ナンノーニの名前で、作品を展示した。1815年にパリ郊外のサン=ドニの女子寄宿学校の教師になり、1823年からサント・クロチルド聖堂の神学校で絵画の教師を務めた。

1863年にパリで亡くなった。

作品

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI