アンナ・マリア・フォン・プファルツ=ノイブルク

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アンナ・マリアはプファルツ=ノイブルク公フィリップ・ルートヴィヒと、ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヴィルヘルム5世の娘アンナとの間の長女である。

1591年9月9日にノイブルクにおいてザクセン=ヴァイマルフリードリヒ・ヴィルヘルム1世と結婚した。結婚の際には夫妻の肖像を刻んだ金貨が鋳造された[1]。1602年に夫フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が死去し、1604年にアンナ・マリアは子供たちと共にヴァイマルからアルテンブルクに移り、アルテンブルクは独立した公国としてヴァイマルから分離された。未亡人となったアンナ・マリアは「深い憂鬱」に陥ったと言われ、1612年以来、寡婦財産として与えられていたドルンブルク・アン・デア・ザーレの町で子供たちと離れて暮らした。1631年、三十年戦争においてティリー将軍の下でクロアチア人が居城を攻撃したとき、アンナ・マリアは攻撃に抵抗したが、城は略奪されアンナ・マリアは頬を負傷した。城に駆けつけた市民の助けにより攻撃は撃退され、アンナ・マリアは感謝の気持ちを込めて教会に台付き杯を寄贈した。

アンナ・マリアは1643年に死去し、アルテンブルクの兄弟教会の王室の地下室に埋葬された。現在、墓所は城壁で囲まれている[2]

子女

脚注

参考文献

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