アンミ・サドゥカはその統治のための最初の17を含む21の年名が残されている。これらの年名は、アンミ・サドゥカの統治期間は非常に平和な年であったことを示しており、主に神殿の充実と拡大に従事していた[1]。
彼の治世を特徴づけるのは、治世の元年にあたる紀元前1646年に布告された「徳政令(ミーシャルム)」である。古代メソポタミアでは、王によって負債の帳消しを行うために徳政令が出されることが慣習として存在したが、アンミ・サドゥカの徳政令は最も完全な形で残っている。内容としては、農民や羊飼い、その他の宮殿への納税者の滞納の免除や、債務奴隷の債務帳消しと自由身分への回復などであった[2]。
治世10年の紀元前1637年には二度目の徳政令が布告され、バビロニア社会が慢性的な経済的問題を抱えていたことが指摘されている[3]。
治世11年の紀元前1636年には、スフム地方の防衛強化のため、ユーフラテス川沿いに要塞を建設した[4]。