アンリ・リシャール
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| アンリ・リシャール | |
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| 本名 | ジョセフ・アンリ・リシャール |
| 原語名 | Joseph Henri Richard |
| 愛称 | ポケット・ロケット |
| 生誕 |
1936年2月29日 ケベック州モントリオール |
| 死没 |
2020年3月6日(84歳没) ケベック州ラヴァル |
| 身長 | 5 ft 7 in (1.70 m) |
| 体重 | 160 lb (73 kg; 11 st 6 lb) |
| ポジション | センター |
| シュート | 右打ち |
| 所属したチーム | モントリオール・カナディアンズ |
| プロ選手期間 | 1955年 – 1975年 |
| 1979年殿堂入り | |
アンリ・リシャール(フランス語: Henri Richard, 1936年2月29日 - 2020年3月6日)は、カナダ連邦ケベック州モントリオール生まれの元プロアイスホッケー選手。ポジションはセンター。
1955年から1975年までNHLモントリオール・カナディアンズのセンターを務めた。
兄は15歳年上のモーリス・リシャールである。アンリの愛称は兄の愛称「ロケット」と彼が5フィート7インチ160ポンド(73 Kg )とNHLのアイスホッケー選手としては小柄な部類であったことにちなんで、"ポケット・ロケット"である[1]。
1955年10月13日にアマチュアFAでモントリオール・カナディアンズに加入した。
1960年に引退することになった兄のモーリスもカナディアンズのスター選手であり左打ちでライト・ウィングを務めたが、弟のアンリは右打ちのセンターで、そのプレースタイルは兄とは全く違っていたといわれる。例えば、モーリスのほうは、50試合50スコアを上げたこともあるとおり、典型的な「点取屋」でそのプレーは「爆発的」とか「ダイナミック」と形容されることがあった。そしてこれに対するアンリは1957-1958シーズンと1962-1963シーズンに、リーグアシスト王となったようにゲームメーカー、ウィングのサポート役としての才能に秀で、小回りが利き、スピードを身上とする選手であった。自らも、「ゴーリーと1対1で対峙する場面になれば、体のサイズなんて関係ない。むしろ、有利に働くことだってあった。」といった旨の発言を残している。
また、カナディアンズのコーチだったトウ・ブレイクからは、「パックがどこにあるか常に把握している、クレバーな選手」といった評価を得ている。
1971年には、引退したジャン・ベリヴォーの跡を継いでカナディアンズのキャプテンに就任した。その背番号16は同チームの永久欠番とされた。アンリは1975年には踵の骨折等もあって現役を引退し、1979年にホッケーの殿堂入りを果した。
11度のスタンレー・カップ優勝の経験を持つが、この記録は2013年現在でNHL最多記録となっており、北米4大プロスポーツリーグにおいてもNBAのビル・ラッセル(ボストン・セルティックス)と並び最多タイ記録である。(これらに次ぐ記録はNHLではモントリオール・カナディアンズのジャン・ベリヴォーとイワン・クルノワイエ、MLBのヨギ・ベラ(ニューヨーク・ヤンキース)らの10回である。)
2020年3月6日にケベック州ラヴァルにて死去。死因は不明だが、2015年にアルツハイマー病であることが公表されていた。84歳没[2]。