アーサー・ウェルズリー (第4代ウェリントン公爵)
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チャールズ・ウェルズリー卿(初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの次男)と妻オーガスタ・ソフィア・アン(Augusta Sophia Anne、旧姓ピアポント(Pierrepont)、1820年5月30日[1] – 1893年7月13日、ヘンリー・ピアポント閣下の娘)の三男として、1849年3月15日に生まれた[2][3]。1861年から1866年までイートン・カレッジで教育を受けた[3]。
1868年6月13日、グレナディアガーズの連隊少尉・陸軍中尉への辞令を購入して入隊した[4]。1871年2月15日、連隊中尉・陸軍大尉への辞令を購入して昇進した[5]。1879年4月5日、連隊大尉・陸軍中佐に昇進した[6]。1883年8月1日、連隊少佐に昇進した[7]。1887年8月1日、陸軍大佐に昇進した[8]。1891年から1895年までグレナディアガーズ第1大隊の指揮官を務め、連隊中佐への昇進を経て1900年10月28日に軍務から引退した[3][9]。グレナディアガーズの士官だったためガーズ・クラブに加入した[10]。
1900年6月8日に次兄ヘンリーが死去すると、ウェリントン公爵位を継承した[3]。貴族院では保守党に属した[10]。
1902年5月2日、ロイヤル・ヴィクトリア勲章ナイト・グランド・クロスを授与された[11]。
1902年8月9日のエドワード7世とアレクサンドラの戴冠式、1911年6月22日のジョージ5世とメアリーの戴冠式で連合王国旗を持つ役割を務めた[12][13]。また1902年戴冠式記念叙勲の一環として、1902年8月8日にガーター勲章を授与された[14]。
外国勲章ではスペインのカルロス3世勲章グランド・クロス、ポルトガルの塔と剣勲章を授与されている[3]。
ハンプシャーの副統監を務め[2]、1906年から1919年までは統監代理(Vice-Lieutenant)を務めた[10]。
ワーテルローの戦い119周年記念の日にあたる1934年6月18日、ハンプシャー州ユーハースト・パークで死去、21日にストラトフィールド・セイで埋葬された[3]。同名の長男アーサー・チャールズ・ウェルズリーが爵位を継承した[3]。
