アーサー・ストリートン
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ビクトリア州のジーロングの郊外、Mount Duneedで生まれた[1]。両親は1854年にイギリスからオーストラリアに移住する船で知り合い結婚した夫婦である[2]。1874年に家族はメルボルン近郊のリッチモンドに移った。メルボルンのビクトリア国立美術館(ナショナル・ギャラリー)付属の美術学校(National Gallery of Victoria Art School)でフォリングスビー(G. F. Folingsby )に学んだ[3]。メルボルンの美術学校の同僚、フレデリック・マッカビンやトム・ロバーツと親しくなり、フランスの印象派の画家やイギリスのターナーの作品から影響を受けた。1885年にヴィクトリア州の美術アカデミーの展覧会に出展した。メルボルンの版画家で美術商のトローデル(Charles Troedel)のもとで働いた[4]。
1885年から1886年の間は、トム・ロバーツらとメルボルン郊外のボックスヒルの風景を描いた。1888年の夏、その年亡くなった、スイス生まれでオーストラリアで活動した風景画家のルイ・ビュベロ(Louis Buvelot)が風景画を描いた場所を訪ねて、ハイデルバーグを訪れた[5]。鉄道の駅から遠いため、増えていたハイデルバーグの空き家を安く借りて1889年に移住し、フレデリック・マッカビンやチャールズ・コンダー、トム・ロバーツらと活動し、「ハイデルバーグ派」が形成されることになった。1891年にはニューサウスウェールズ州の海岸の町モスマンでも活動した。
1897年に初めてヨーロッパに渡り、パリやイギリスの展覧会に出展した。イギリス滞在中に第一次世界大戦がはじまると軍に志願し、1917年にオーストラリア軍の公式戦争画家に任じられた。
1919年にオーストラリアに帰国し、風景画家、美術評論家として働いた。