アーサー・マッカーサー・ジュニア
From Wikipedia, the free encyclopedia
父は第4代ウィスコンシン州知事のアーサー・マッカーサー・シニア。妻のメアリー・ピンクニー・ハーディ・マッカーサーとの間に5人の子供がおり、長男のアーサー・マッカーサー3世は海軍軍人、三男のダグラス・マッカーサーは後に陸軍元帥となる。長男の息子(孫)に駐日アメリカ大使のダグラス・マッカーサー2世がいる。
南北戦争
南北戦争が始まると、第24ウィスコンシン義勇歩兵連隊に参加した。チカマウガの戦い、ストーンズリバーの戦い、第三次チャタヌーガの戦い、アトランタ方面作戦、第二次フランクリンの戦いに参加した。
特に第三次チャタヌーガの戦いの中でミッショナリー・リッジを巡る戦闘中、戦死した戦友から連隊旗を受け継ぎ、先頭に立って「進め、ウィスコンシン(On Wisconsin)!」と叫びながら進撃し、南軍の陣地であったミッショナリー・リッジに連隊旗を立てる事に成功した功績により、わずか19歳で名誉大佐の地位を与えられ、少年大佐(The Boy Colonel)と呼ばれて有名になった。これらの功績により、1890年に名誉勲章を授与された。第三次チャタヌーガの戦いでのマッカーサーの活躍を歌った「オン・ウィスコンシン」 (On, Wisconsin!) という歌はウィスコンシン州の州歌になっており、ウィスコンシン大学マディソン校の校歌でもある。
マッカーサーは1865年6月に陸軍を退役すると、法律学校へ通い始めたがすぐに辞め、1866年2月23日に第17師団の少尉として軍務に復帰した。復帰した翌日には中尉に、9月には大尉に昇進するが、そのまま20年間は大尉のままだった。