アーザーディー記念塔

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アーザーディー記念塔
アーザーディー記念塔(当時の名称はシャヒヤード記念塔)と設計者のホセイン・アマーナト。1970年代の写真。

アーザーディー記念塔ペルシア語: برج آزادی, ラテン文字転写: Borj-e Āzādī)は、イランの首都テヘランにある塔状の記念碑。イラン王政2,500周年を記念するモニュメントとして1971年に完成した[1][2]。完成当時の名称は「諸王の記念塔」を意味する「ボルジェ・シャヒヤード」(ペルシア語: برج شهیاد, ラテン文字転写: Borj-e Šahyād)であった[1][2]。1979年のイスラーム革命後に「自由の記念塔」を意味する「ボルジェ・アーザーディー」に変更された[3]

イランは第二次世界大戦中、連合国軍に占領され、西洋文明との邂逅の新たな段階を経験した[1]。外国勢力による直接的支配に続く、石油産業国有化から白色革命の時代(1952年から1963年まで)は、ナショナル・アイデンティティと国家的発展目標を設定しなおす時代であった[1]。Ardalan (1986) は、この時期を代表する建築の美的特徴を「アーリヤン記念碑的 Aryan Monumental」と指摘する[1]。しかしながら全体的な観点から言うと、この時期は、インフラストラクチャー整備と「イラン国民」としての文化的アイデンティティの確立という国民のニーズに応えた建築が進められる一方で、傑出した公共建築と言えるものはあまりなかった[1]

1963年からイランは第三次五か年計画(1963年-1968年)の下で国家建設を進める[1]。国有化した石油が富を外国からもたらし、第二次世界大戦後にヨーロッパやアメリカで留学した建築家や技術者がこの時期、イランに戻り始めていた[1]。資金と人材という条件がそろった中で、モハンマドレザー・シャーは、石油開発がもたらす富を視覚化し、過去の政治的混乱を過去のものとしたいと望み、シャーの支配を顕彰する記念碑のデザイン・コンペティションを企画した[2]

1966年に建築家のホセイン・アマーナトペルシア語版が過去のイラン建築の様式を折衷してデザインした。アマーナトは24歳の若手であった[3]。高さが45メートルあり、エスファハーン産の大理石の板が25,000枚、用いられている[4].

建築物

シンボリズム

典拠

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