アーノルド・ウイトリッヒ
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ウイトリッヒは、1930年(昭和5年)ごろ日本に来たと言う[2]。1933年(昭和8年)ごろ、戸塚区矢部町735番地(当時は鎌倉郡戸塚町)に住宅を建てた。2026年現在[update]この住宅は「旧ウィトリッヒ邸」として残っている。また日本人女性の津田ひ亭(つだ ひで)と結婚した[3]。
戸塚区俣野町2番地の森(当時は鎌倉郡大正村)が故郷スイスの風景に似ているとして気に入り、約30000平方メートル(3ヘクタール)の土地を購入して農業を営んだ。太平洋戦争以前から日本に住んでいた外国人の中で、農業を職業とするのは異色の経歴だという[3]。
太平洋戦争が始まると、日本政府と警察による外国人への監視が厳しくなって横浜市内での生活が困難になり、長野県北佐久郡軽井沢町に疎開した。軽井沢では赤十字国際委員会の部員となっていた[3]。戦争終結後は再び横浜市に戻った。
1951年(昭和26年)に日本との商取引を再開したシイベルヘグナー社(のちのDKSH)東京支社に入社し、1965年(昭和40年)に定年退職するまで勤務した。私生活では、矢部町周辺が都会化するのを嫌い旧宅を離れ、俣野町2番地の農地の森に新しい家を建て、ヤス(Jass)に興じるなどして暮らした[2]。
1983年(昭和58年)に死去。俣野町の農地を横浜市に寄贈した。この土地が現在の市民の森「ウイトリッヒの森」となった[4]。妻のひ亭(ひで)も3年後に死去した[2]。矢部町735番地の旧宅(旧ウィトリッヒ邸)は「横浜市認定歴史的建造物」に認定され現存する[5]。