ピッカーは、父親の足跡をたどるようにして、映画界での経歴を歩み始めた。1935年、父が役員をしていたコロンビア ピクチャーズに入社し、順調に昇格して、やがて国際配給部門の長となった。次いで、ユナイテッド・アーティスツに転じ、1960年代には、執行副社長 (an executive vice president) のひとりとなった。ピッカーが映画界におけるキャリアを終え、政界に転じたのは、リンドン・B・ジョンソン大統領から、教育・文化活動国際員会 (the International Commission on Education and Cultural Affairs) の委員に任命されたことがきっかけであった。
映画界におけるピッカーの経歴は1960年代で終わったが、その後もピッカーは、映画に関係する仕事にも精力的に取り組んだ。彼は、ワシントンD.C.に拠点を置くアメリカン・フィルム・インスティチュートの設立を支援した。また、後には全国ユダヤ映画センター(英語版)の理事長 (chairman of the board) を務めた。ブランダイス大学に設けられたこのセンターは、イディッシュ語映画の古典的作品の修復にあたっている。ピッカーはまた、フロリダ国際大学に拠点を置くホロコースト記録・教育センター (Holocaust Documentation and Education Center) の設立も支援をした。