アール・ストリックランド
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9歳のとき、父親の知り合いの経営するプールルームへ遊びに行ったことでビリヤードと出会う。当時は未成年者がプールルームで遊ぶことが禁止されていたが、父親の知り合いということで特別に許可された[4]。その日から熱心に練習し、13歳になる頃にはその地域で敵うものはいなくなったという[4]。タバコ畑でアルバイトをしていたが、稼いだ給料は全て賭け球の資金として使われた。
15歳になったストリックランドは親の転勤に伴いテキサス州ヒューストンへ引っ越した[4]。この年、ロードトリップでサンフランシスコへ赴く。ロードの途中、あるビリヤード場で賭け球をしたところ、ジャンプショットを得意とする相手に1,000ドル負かされテキサスへ戻ることになった。帰りの飛行機でジャンプショットができるようにならなければという決心をし、テキサスへ戻ってから練習を重ねて自分のものとした[3]。
20歳のとき、プロへ転向する。
1982年、初めてプロのトーナメントへ参加。この大会では準々決勝でバディ・ホールに敗れたが、次の大会ではバディ・ホールへのリベンジを果たし、優勝した。テレビマッチで行われたスティーブ・ミゼラクとの対戦ではジャンプショットを決め、衝撃を与えた[3]。その日からジャンプショットが流行する[3]。後年、CUE'Sのインタビューにおいて「ジャンプ専用のキューが生まれたのはある意味私のせいかもしれない」と語り、その存在を「忌々しいもの」と表現した[5]。
2006年、ホール・オブ・フェイム入りを果たす。