イアキンフ
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経歴
1777年、カザン県ツィビリンスクでチュヴァシ人司祭の家に生まれ、カザン神学校で学んだ。
中国研究の草分け的存在。その研究対象には満州、モンゴル、チベット、東トルキスタン、および他のアジア諸国を含んでいる[1]。
1802年、剪髪式を受けて修道士となり、イアキンフの修道名を受けた。北京での正教宣教のために派遣され、14年間をそこで過ごした。イアキンフの真の関心は中国史と中国語にあった。ほどなくしてイアキンフは宗教的情熱の欠如を責められ、修道院長としての地位を剥奪されてヴァラーム修道院に入れられた。そこで彼は、数々の古代・中世の中国語文献を翻訳したが、それらは従前のヨーロッパでは知られていないものであった。続く数十年の間に、中国史、モンゴル史、地理、宗教、統計学、および農業に関する、多くの著作を出版した。1837年に、イアキンフはロシア帝国初の中国語学校を開校した。中国学に対するイアキンフの貢献により、彼はロシア、ドイツ、フランスの学士院会員となった。

