イアゴ・ファルケ・シルバ
スペインのサッカー選手
From Wikipedia, the free encyclopedia
イアゴ・ファルケ・シルバ(Iago Falque Silva, 1990年1月4日 - )は、スペイン・ガリシア州ア・コルーニャ県ビーゴ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
ASローマ時代 | ||||||
| 名前 | ||||||
| 本名 |
イアゴ・ファルケ・シルバ Iago Falque Silva | |||||
| ラテン文字 | Iago Falque | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1990年1月4日(36歳) | |||||
| 出身地 | ビーゴ | |||||
| 身長 | 174cm | |||||
| 体重 | 69kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| ユース | ||||||
| 2000-2001 |
| |||||
| 2001-2008 |
| |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2008 |
| 1 | (1) | |||
| 2008-2012 |
| 0 | (0) | |||
| 2010-2011 |
→ | 36 | (11) | |||
| 2012-2014 |
| 1 | (0) | |||
| 2012 |
→ | 1 | (0) | |||
| 2013 |
→ | 22 | (2) | |||
| 2013-2014 |
→ | 28 | (3) | |||
| 2014-2016 |
| 32 | (13) | |||
| 2015-2016 |
→ | 14 | (1) | |||
| 2016-2017 |
| 8 | (1) | |||
| 2016-2017 |
→ | 35 | (12) | |||
| 2017-2021 |
| 67 | (18) | |||
| 2020 |
→ | 10 | (2) | |||
| 2020-2021 |
→ | 11 | (1) | |||
| 2022-2023 |
| 26 | (6) | |||
| 2024-2025 |
| 8 | (0) | |||
| 代表歴 | ||||||
| 2007 |
| 12 | (3) | |||
| 2008-2009 |
| 11 | (4) | |||
| 2009 |
| 1 | (0) | |||
| 2011 |
| 1 | (0) | |||
|
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ヤーゴ・ファルケとも表記される。
経歴
FCバルセロナ
ガリシア州・ビーゴに生まれたが、2000年から2001年にはレアル・マドリードの下部組織(カンテラ)に所属し、2001年にライバルのFCバルセロナの下部組織に移った。インフェリオール・カテゴリーで頭角を現し、逸材のひとりとして注目されるようになり、2008年にはFCバルセロナBがセグンダ・ディビシオンB(3部)に昇格し、それと同時にイアゴもアトレティックのメンバーに昇格した。それまでFCバルセロナBを率いていたジョゼップ・グアルディオラ監督がトップチームの監督に就任したため、ルイス・エンリケがアトレティックの監督に就任し、イアゴはFCバルセロナBでのデビュー戦で初得点を挙げた。しかし、イアゴはエンリケ監督と折り合いが悪く、さらに同ポジションのガイ・アスリンら年下の成長も著しかったため、U-19スペイン代表であるにも関わらず戦力外通告を受けた。
ユヴェントスFC
2008年8月30日、イタリア・セリエAのユヴェントスFCと4年契約を結んだ。複数のクラブがイアゴに関心を寄せていたが、ユヴェントスのクラウディオ・ラニエリ監督はファルケが活躍したアイルランドでのU-19トーナメントを直接視察に訪れていた。フリートランスファーであったが、活躍次第でFCバルセロナには250万ユーロの補償金が支払われる[要出典]。2008-09シーズンのはプリマベーラ(ユース)で主力としてプレーして活躍し、アルビン・エクダルやロレンツォ・アリアウドらと共に、ビアレッジョ国際ユーストーナメントで優勝した。12月6日、USレッチェ戦でトップチームへの初招集を受けた。2009年夏のプレシーズンにはACミランとの練習試合でトップチームデビューを果たしたが、8月25日、セリエAのASバーリにレンタル移籍し、2009-10シーズン前半戦はユースチームでプレーした。2010年1月にユヴェントスに復帰したが、ユヴェントスでもやはりユースチームでプレーした。2010年7月29日、スペイン・セグンダ・ディビシオンB(3部)のビジャレアルCF Bにレンタル移籍した。2010-11シーズンはレギュラーとして36試合に出場してチームトップの11得点を挙げたが、ビジャレアルCFは買い取りオプションを行使せず、2011年6月30日に契約元のユヴェントスに戻った。2011年8月25日、1年間の契約でイングランド・プレミアリーグのトッテナム・ホットスパーFCにレンタル移籍した。契約には完全移籍での買い取りオプションが付けられた[1]。9月15日、UEFAヨーロッパリーグ・PAOKサロニカ戦(0-0)でデビューした。
トッテナム・ホットスパーFC
2012年1月16日、トッテナムに完全移籍し、直ちにフットボールリーグ・チャンピオンシップ(2部相当)で首位を走るサウサンプトンFCにシーズン終了までの契約で期限付き移籍した[2][3]。レスター・シティFC戦でデビューした。2013年1月24日、スペイン2部のUDアルメリアにシーズン終了まで期限付き移籍した[4]。2013年8月25日、ラージョ・バジェカーノに期限付き移籍した[5]。
ジェノアCFC
ASローマ
2015年7月1日、ASローマに買取義務付きのレンタルで移籍した[7]。100万ユーロのレンタル料に加え、公式戦に出場した時点で700万ユーロでの買取義務が発生する。
2015年8月22日、エラス・ヴェローナ戦で66分にモハメド・サラーとの交代で途中出場し、ローマ移籍後初出場を果たした[8]。9月12日、フロジノーネ戦でローマでの初ゴールを挙げた[9]。10月20日、UEFAチャンピオンズリーグのバイエル・レバークーゼン戦でCL初ゴールを挙げた[10]。ローマでの初年度は、27試合3得点の記録を残した。2016年1月にルチアーノ・スパレッティが監督に就任してからは出場機会を減らした[11][12]。
トリノFC
2016年7月18日、アダム・リャイッチとともにトリノFCに移籍した。買取オプション付きのレンタルでの形での加入となった[13]。前半戦で15試合8得点と活躍を見せ、2017年1月5日にトリノは買取オプションを行使し、完全移籍した[14]。
2020年1月31日、古巣のジェノアCFCにシーズン終了までのローンで5年ぶりに復帰[15]。なお、買取オプションが付帯していたが、シーズン終了後に行使されずトリノに復帰。
2020年9月29日、1シーズンローンでベネヴェント・カルチョに加入[16]。
2021年8月31日、トリノとの契約を双方合意の下に解除[17]。
アメリカ・デ・カリ
2022年1月23日、アメリカ・デ・カリに加入した。
代表
2007年にはベルギーで開催されたUEFA U-17欧州選手権で優勝し、韓国で開催されたFIFA U-17ワールドカップでは準優勝した。2008年にはチェコで開催されたUEFA U-19欧州選手権に出場し、12月にはガリシア代表に初招集された。ボージャン・クルキッチらと同世代で、スペインでは“Quinta de Bojan”(ボージャン世代)と呼ばれる逸材揃いの世代の一員とされている。
タイトル
代表
- U-17スペイン代表