イゴール・マティッチ
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| 名前 | ||||||
| 本名 | イゴール・マティッチ | |||||
| ラテン文字 | Igor Matić | |||||
| キリル文字 | Игор Матић | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1981年7月22日(43歳) | |||||
| 出身地 |
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| 身長 | 176cm | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF(AMF) | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1998-2003 |
| 71 | (11) | |||
| 2003-2004 |
| 36 | (11) | |||
| 2005-2006 |
| 24 | (2) | |||
| 2007-2008 |
| 11 | (0) | |||
| 2008 |
| 11 | (0) | |||
| 2009-2010 |
| 27 | (9) | |||
| 2010-2012 |
| 43 | (10) | |||
| 2012 |
| 16 | (3) | |||
| 2012-2017 |
| 131 | (24) | |||
| 代表歴 | ||||||
| 2002-2004 |
| 11 | (3) | |||
| 2004 |
| 2 | (0) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2023 |
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| 2024 |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
イゴール・マティッチ(セルビア語: Игор Матић, Igor Matić、1981年7月22日 - )は、セルビアの元サッカー選手、サッカー指導者。アテネオリンピックセルビア・モンテネグロ代表。ポジションはミッドフィールダー。
1998年にFKゼムンで選手となった。19歳にしてユーゴスラビア連邦共和国カップ準決勝進出という快進撃に貢献した[1]。2003年にOFKベオグラードに移籍、ブラニスラヴ・イヴァノヴィッチ率いるOFKベオグラード黄金時代をクラブの一員として過ごした。
2005年にリーグ・アンのSMカーンに移籍したが、リーグ・ドゥに降格した。その後無所属を経てFKバナト・ズレニャニンに加入。2008年にFCメガスポルトに加入するもクラブが解散した。
2009年にOFKグルバリに加入。2010年にFKモグレンに移籍。2012年1月に5ヶ月間給与未払いが続いていたため、モグレンを裁判所に訴えた[2]。そのまま退団し、同月にアレクサンダル・クリスティッチを新監督に据えたFKナプレダク・クルシェヴァツに加入[3]。クリスティッチと彼はOFKベオグラード時代から付き合いがあった縁での入団であった[1]。
ナプレダク・クルシェヴァツでは半シーズンを過ごしたのみで、FKチュカリチュキに移籍した。チュカリチュキでは司令塔として活躍し、セルビア・スーペルリーガへの昇格に貢献した。2013年10月にはスポルタル紙が「皆が恐れる"おじさん"」と題した28歳以上のセルビア・スーペルリーガベストイレブンを組み、その中には彼の名前も含まれていた[5]。2015年3月18日にハムストリングを痛めて離脱するも2週間で復帰[6]。その後2017年に引退するまで主将も務めながらチュカリチュキで過ごした[7]。
代表歴
彼はボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国のブゴイノで生まれたが、ユーゴスラビア連邦共和国籍を選択。国名が変わってセルビア・モンテネグロU-21代表としてUEFA U-21欧州選手権2004で準優勝し、同U-23代表としてアテネオリンピックに出場した。