イサーク・ブロドスキー
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現ロシア、サンクトペテルブルク
イサーク・ブロドスキー | |
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| Исаа́к Бро́дский | |
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自画像 (1917以前) | |
| 生誕 |
1884年1月6日 現ウクライナ、ソフィエウカ(Sofiyivka) |
| 死没 |
1939年8月14日(55歳没) 現ロシア、サンクトペテルブルク |

イサーク・イズライレヴィチ・ブロドスキー(ロシア語: Исаа́к Изра́илевич Бро́дский, ラテン文字転写: Isaak Izrailevich Brodsky、ウクライナ語: Іса́к Ізраїльович Бро́дський、1884年1月6日 - 1939年8月14日)は、現ウクライナ生まれのユダヤ系の画家、イラストレーターである。ウラジーミル・レーニンなどのソビエト連邦の指導者の肖像画などで知られている。「社会主義リアリズム」のスタイルの先駆けとされる[1]。
現在のウクライナの南東部ベルジャーンシク近郊のソフィエウカ村(Sofiyivka)で、ユダヤ人商人の息子に生まれた。オデッサの美術学校で学んだ後、サンクトペテルブルクの帝国芸術アカデミーで、5年間、イリヤ・レーピンに学んだ。1909年から1911年にかけては奨学金を得てドイツ、フランス、スペイン、イタリアを旅した。1916年、ユダヤ人芸術振興協会(Еврейского общества поощрения художеств)に入会した。1918年にロシア革命(2月革命)の指導者アレクサンドル・ケレンスキーの肖像画を展覧会に出展し画家として評価された。
10月革命の後、1922年に革命ロシア芸術家協会(Ассоциация художников революционной России)の共同創設者の一人となり、ボリシェヴィキ指導者の肖像画を積極的に描いた。その中には、レーニンやスターリン、アナトリー・ルナチャルスキー、クリメント・ヴォロシーロフ、ミハイル・フルンゼ、ミハイル・カリーニン、グリゴリー・ジノヴィエフなどがある。とくにレーニンを描いた多くの肖像画で知られている。
1929年に政治的な問題で追放されることもあったが、共産党官僚との多くのコネクションのおかげで、政治的に不安定な状況を脱し、1934年にロシア美術アカデミーの学長に就任し、迫害された前衛芸術家を支援するためにその人脈を利用した。レーニン勲章を授与された最初の画家となった.[2]。
1939年に当時レニングラードと改名されていたサンクトペテルブルクで亡くなった。没後回想録画出版された7[3]。