イザベル・ド・ブリエンヌ
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イザベルは、アテネ公ゴーティエ5世・ド・ブリエンヌの娘である。父ゴーティエ5世は1311年にテーベ近郊で起こったハルミロスの戦いで戦死した。レッチェ伯ユーグ・ド・ブリエンヌの孫娘として、イザベルはエルサレム王とキプロス王の継承権を有していた。
父ゴーティエ5世はアテネ公国奪還を試みたものの失敗に終わった。父の戦死の後、イザベルの母ジャンヌ・ド・シャティヨン(1354年没)は2人の子供を連れてフランスへ亡命した[1]。一家は貧困に陥り、イザベルは1322年1月にワロン人騎士、ゴーティエ3世・ダンギャンと結婚した[1]。
1356年、ポワティエの戦いでフランス軍総司令官であった兄ゴーティエ6世(ブリエンヌ公)が戦死すると、イザベルは兄の跡を継いでレッチェ女伯およびブリエンヌ女伯となり、アテネ女公の称号を名のった[2]。生前、イザベルは相続した領地を子供たちに分割した。イザベルの跡を継いだのは次男ソイエであり、ソイエは相続分割(1356年 - 1360年)以降アテネ公の称号を保持した。
子女
ゴーティエ3世・ダンギャンとの間に以下の子女が生まれた[1][3]。
- イザボー(1357年12月28日没) - フリヌ女子修道院長[注釈 1]
- ゴーティエ(1322年6月5日 - 1340年11月18日)
- ソイエ(1324年 - 1364年3月21日) - ブリエンヌ伯。アテネ公を称した。
- ゴーティエ4世(1360年 - 1381年7月18日) - ブリエンヌ伯、アテネ公
- ルイ(1394年3月17日没) - コンヴェルサーノ伯。1381年よりブリエンヌ伯、アテネ公。
- マルグリット(1365年頃 - 1394年以降) - ジャン・ド・リュクサンブールと結婚し、子孫がブリエンヌ伯位を継承した。
- マリー - ロベール・ド・ルシー(1363年没)と結婚
- ジャン(1380年没) - レッチェ伯およびカストロ領主、サンチャ・デル・バルツォ(ベルトランド3世・デル・バルツォの娘)と結婚。
- ピエール1世(1384年没) - レッチェ伯、嗣子無く死去。
- マリー(1367年 - 1446年) - レッチェ女伯。ターラント公ライモンド・オルシーニ・デル・バルツォと結婚。1406年にナポリ王ラディズラーオ1世と再婚。
- マルグリット - ピエール・ド・プレオーと結婚
- ジャック - リエージュの律修司祭
- ギー(1377年没) - アルゴスおよびナウプリア領主
- マリア - ピエトロ・コルナーロと結婚。1388年に夫妻はアルゴスおよびナウプリア領をヴェネツィア共和国に売却した。
- アンジルベール1世(1330年 - 1403年2月20日) - ラメルプ、ラ・フォリおよびスネッフ領主
- フランソワーズ - モンテベロ伯ピエトロと結婚
- ジャンヌ - フリヌ女子修道院の修道女