イジェヴァン
アルメニアの都市
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イジェヴァン(アルメニア語: Իջևան、英: Ijevan)は、アルメニアのタヴシュ地方北部にある都市。同地方の中心都市である。古くはイスティブラグ(Istibulagh)、カラヴァンサラ(Karavansara)とも呼ばれた。イジェヴァン、カラヴァンサラともに「隊商宿」という意味で、それがアルメニア語かペルシャ語かの違いである[3]。
イジェヴァン Ijevan Իջևան | |
|---|---|
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| 北緯40度52分32秒 東経45度08分57秒 | |
| 国 |
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| 地方 | タヴシュ地方 |
| 市制 | 1970年- |
| 市長 | ヴァルジャン・ネルシシャン[1] |
| 面積 | |
| • 合計 | 4.62 km2 |
| 標高 | 755 m |
| 人口 (2009年) | |
| • 合計 | 20,500人 |
| • 密度 | 4,437人/km2 |
| 等時帯 | UTC+4 (アルメニア時間) |
| ウェブサイト | イジェヴァンの情報ポータル |
| 人口の情報源[2] | |
首都エレバンから北東に137km、エレバンとトビリシを結ぶ幹線道路上にある。鉄道駅は1870年に開業した。イジェヴァン山地とナルテケト山地に抱かれ、付近にはアグスタファ川が流れる。2009年時点の人口は2万500人で、タヴシュ地方では最も多い。現市長のヴァルジャン・ネルシシャンが定数15の市議会と共に市政を運営している[4]。
歴史
今日のイジェヴァン一帯には古くから人が住んでいたことが判っている。現在の市立病院の近くには石器時代の集団墓地があり、アグスタファ川の左岸には青銅器時代後期の墓地跡がある[5]。伝承によると、約2000年前にアルメニア王アルタヴァスデス1世が建設した街がイジェヴァンの源である。王は美女と男前を集め、結婚させこの街に住まわせた。
レバントと北コーカサスを結ぶ交易の要衝にあったため、この地域にはキャラバンのための宿泊所や大旅館が軒を連ねた。アグスタファ河岸には「ハマム・ジャラ」と呼ばれる中世の隊商宿の跡地がある。ペルシャに支配されていた1780年代に街はカラヴァンサラ村として組織された[6]。1801年にはグルジアやロリ地方と共にロシア帝国領となった。パーヴェル1世のときにアグスタファ川の谷あいへの移住が許されると、カラバフ地方からおよそ6000家族がカラヴァンサラ村周辺に移り住んだ。街の名がカラヴァンサラからイジェヴァンに改称されたのは、アルメニア独立後の1919年のことであった。
1920年11月29日には北からソビエト連邦の赤軍が攻め入り、アルメニアで最初にソ連に制圧された都市となった。
1970年に都市型集落になった。
地理
アグスタファ川の標高755m付近に築かれている[7]。周りは鬱蒼とした森に覆われた山々が囲っており、一部はツンドラになっている。年間平均気温は10.6℃で、1月の平均気温は0℃、7月の平均気温は21.3℃。また、史上最高気温は37℃で、史上最低気温は-23℃である。年間降水量は562mm。街の入口にはスピタク湖という小さな湖がある。
経済
教育と文化
観光
深い森と高い山に抱かれたイジェヴァンは、林間リゾート地になっている。1969年には街を通る幹線道路の北側に200台のベッドを備えた高層ホテルがオープンした。一帯にはアルメニア様式の歴史的建造物がいくつかある。
- マカラヴァンク修道院 - イジェヴァンから北へ16kmのアチャジュール村にある10世紀の修道院。村より高いところに築かれた紫と緑の石造りの建物は人気が高い。
- アラケロツ修道院 - イジェヴァンから北へ数キロ行ったところにあるキランツ村にある13世紀の修道院。
- キランツ修道院 - イジェヴァンから北へ10kmのところにある8世紀の修道院。
- イジェヴァンの南方数キロのガンザカル村にある修道院。
景勝地としてはイジェヴァン北方のイェノカヴァン村近くにあるイェノカヴァン峡谷が挙げられる。峡谷は美しい断崖、洞窟、森、川、滝が特徴。このうち「アナパトの洞窟」と呼ばれる穴には古いキリスト教のユニークな彫刻が施されている。峡谷には小さな宿泊施設と近代的なリゾートが備わっている。
スポーツ
イジェヴァンにはアルナル・スタジアムという観客全員が座って観戦できるようになっているスポーツ施設が2007年に完成した。2008年にはこのスタジアムでアルメニア独立カップの決勝戦が行われた。首都エレバン以外で決勝戦が行われたのは史上初めてで、かつ2010年現在この一度だけである。かつてはFCベントニト・イジェヴァンというサッカークラブがあったが、2007年に解散した。