イジャスラフ・ウラジミロヴィチ (プロンスク公) From Wikipedia, the free encyclopedia 在位 1207年死去 1217年イサドィ家名 リューリク家父親 プロンスク公ウラジーミルイジャスラフ・ウラジミロヴィチИзяслав Владимирович プロンスク公 在位 1207年死去 1217年イサドィ家名 リューリク家父親 プロンスク公ウラジーミルテンプレートを表示 イジャスラフ・ウラジミロヴィチ(ロシア語: Изяслав Владимирович、? - 1217年)は、プロンスク公ウラジーミルの子である。プロンスク公:1207年。 イジャスラフの兄弟のグレプ、オレグはキエフ大公フセヴォロド3世に讒言し、おじのロマン(ru)、スヴャトスラフ(ru)、いとこのイングヴァリ(ru)、ユーリーを投獄した。プロンスク公ミハイルはチェルニゴフへ脱出したため、イジャスラフはプロンスクの防衛を担ったが果たせず、プロンスク公位にはオレグが就いた。 1208年から1209年にかけての冬に、イジャスラフとミハイルはウラジーミル大公国を侵略したが、モスクワ付近でユーリーの率いるウラジーミル・スズダリ公国軍に敗れた。 1217年、イジャスラフはイサドィ諸公会議[注 1]において殺害された。イジャスラフの家族・子孫に関しては不明である。 注釈 ↑ 開催地についてはイサドィを、「諸公会議」についてはルーシの諸公会議を参照されたし。 参考文献 Изяслав Владимирович (князь пронский)//Родовод 先代ミハイル・フセヴォロドヴィチ プロンスク公1207年 次代オレグ・ウラジミロヴィチ Related Articles