イジュラーリーエ (装甲艦)

From Wikipedia, the free encyclopedia

艦歴
発注 トリエステ造船所
起工 1868年5月
進水 1870年
就役 1872年
退役
その後 1914年に練習艦に類別。
除籍 1922年に除籍後、解体処分
前級 フェトヒ・ビュレント級
次級 メスディイェ級
性能諸元(竣工時)
排水量常備:2,266トン
満載:3,266トン
全長65.0m
全幅12.98m(砲郭部)
吃水5.28m
機関型式不明石炭専焼缶-基
+レシプロ機関1基1軸推進
最大出力1,800hp
最大速力12.0ノット(機関航行時)
航続距離-ノット/-海里(石炭:300トン)
乗員320名
兵装1849年型 22.9cm(13.9口径)単装砲2基
1858年型 17.8cm(15.9口径)単装砲1基
(1891年:
1849年型 22.9cm(13.9口径)単装砲2基
15cm(35口径)単装砲1基
1859年型 8.7cm(24口径)単装砲2基
1862年型 6.4cm(-口径)単装砲2基
オチキス 3.7cm(23口径)回転式機砲2基)
装甲
鉄製
舷側:152mm(最大厚)
シタデル:120mm(壁面)
砲郭部:152mm(最大厚)
司令塔:-mm

イジュラーリーエ (Idjlalieh, トルコ語: İclâliye) はオスマン帝国海軍の舷側砲郭装甲艦 (装甲コルベット, Zırhlı korvet)で同型艦はない。

本艦の船体の基本形状は列強の装甲艦と同じく艦首水面下に衝角をもつ平甲板型船体に2本のマストの間に1本煙突を持つ当時の一般的な装甲艦の形態である。船体中央部の砲郭には主砲のイギリスのアームストロング社製「22.9cm(13.9口径)アームストロング砲」を単装砲架で計2基を配置していた。片舷2箇所の計4箇所の砲門が開けられた。主砲の砲架は床面に扇状に埋め込まれたレール上を移動することにより広い射界を得ており、敵対位置により自在に砲門を選べた。本級の装甲は水線部と砲郭部に厚さ152mm装甲を、機関区と弾薬庫を守るボックス・シタデルには120mmの装甲板を舷側に貼っていた。

艦歴

Stabilimento Tecnico Triestinoで建造[1]。エジプト政府により発注[2]。1868年5月起工[2]。1868年8月29日、オスマン帝国海軍へ引き渡し[3]。1869年[4]、ないし1970年進水[5]。1871年1月25日にイスタンブールへ向け出発し、同年2月に就役した[2]

露土戦争


1877年6月10日、スリナでロシアの水雷艇1号と2号が「イジュラーリーエ」に対して外装水雷による攻撃を行ったが、水雷は「イジュラーリーエ」から離れた場所で爆発したため攻撃は失敗に終わり、攻撃後に1号は防材と思われるものに衝突して沈没した[6]

1913年に浮き砲台、1914年にHeybeliadaで海軍学校の兵舎、1919年2月にイスタンブールで係留練習艦、1923年にGölcükで兵舎となり、1928年に退役して解体のため売却された[2]

脚注

参考文献

  • Bernd Langensiepen, Ahmet Güleryüz, The Ottoman Steam Navy 1828–1923, Conway Maritime Press. 1995, ISBN 0-85177-610-8
  • Conway's All the World's Fighting Ships 1860-1905, Conway Maritime Press. 1979, ISBN 0-85177-133-5
  • Piotr Olender, Russo-Turkish Naval War 1877-1878, MMPBooks, 2017, ISBN 978-83-65281-36-4

関連項目

参考図書

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI