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イズマイール

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イズマイールウクライナ語: Ізмаїл [izmɑˈjil/イズマイィール];ウクライナ語ラテン文字表記の例: Izmayilロシア語及びブルガリア語: Измаил;ロシア語ラテン文字表記の例:Izmailルーマニア語: Ismailトルコ語: İşmasılHacidarIsmail)は、ウクライナオデッサ州都市ドナウ川に近い歴史ある都市である。

イズマイール
市域53 km2
概要 イズマイール Ізмаїл, 位置 ...
イズマイール
Ізмаїл
かつてあったイズマイール要塞の一部
かつてあったイズマイール要塞の一部
イズマイールの市旗 イズマイールの市章
市旗 市章
位置
イズマイールの位置の位置図
イズマイールの位置
位置
イズマイールの位置(ウクライナ内)
イズマイール
イズマイール
イズマイール (ウクライナ)
イズマイールの位置(オデーサ州内)
イズマイール
イズマイール
イズマイール (オデーサ州)
座標 : 北緯45度21分06秒 東経28度50分11秒
行政
 ウクライナ
  オデッサ州の旗 オデッサ州
  イズマイール
市長 Heorhi Dubenko
地理
面積  
  市域 53 km2
標高 31 m
人口
人口 (2025年現在)
  市域 68,401人
    人口密度   1,605人/km2
その他
等時帯 東ヨーロッパ時間 (UTC+2)
夏時間 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3)
郵便番号 68633
市外局番 +380 4841
公式ウェブサイト : http://www.izmail.com.ua/
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イズマイールは、ドナウ・デルタ最大のウクライナの港である。食品加工業の中心であり、人気のある観光地でもある。また、ウクライナ海軍と、ウクライナ国家国境庁沿岸警備隊の基地がある。WWFが運営する自然公園が近接している。

現在の人口はおよそ85,000人と概算される。そのうちロシア系住民が43.7%で、ウクライナ人が38%、ベッサラビア・ブルガリア人が10%、モルドバ人が4.3%である。

歴史

イズマイールの要塞は、12世紀ジェノヴァ共和国の商人らによって建設された。14世紀に短期間だけイズマイールはワラキアに属した。ドナウ北岸領土がバサラブ家(en:House of Basarab、ワラキア公を輩出した)の所領となったのである(バサラブという名が、ベッサラビアの由来となった)。町は最初、オスマン帝国の大宰相(en:Grand Vizier)から派生したシュミル(Şmil)であった。オスマン語の特徴であるiが付け足されている。

14世紀終わりから、イズマイールはモルダヴィア支配下に入った。1484年、オスマン帝国がワラキア、モルダヴィアを攻め、黒海に近い部分を軍直轄領(1538年まで直接支配)とした。この時から16世紀初めまで、ブジャク地方にオスマン帝国の要塞が築かれた。1569年スルタンセリム2世が、自身に従属するノガイ人(北カフカース出身)を定住させた。

1770年ロシア帝国の将軍ニコライ・レプニーンen:Nicholas Repnin)がイズマイール要塞を攻略後、2度と陥落しないようオスマン帝国により徹底して再強化された。スルタン自慢の要塞は難攻不落であるとされた。しかし露土戦争1787年-1792年)の最中、ロシア帝国軍司令官アレクサンドル・スヴォーロフ1790年12月22日に急襲した。要塞内部に立てこもったオスマン帝国軍は、ロシアからの最後通牒を受けて、屈服した。この敗北はオスマン帝国の悲劇的結末であり、ロシア側はこの地で初めて国歌Grom pobedy, razdavaysya!を歌ったのである。

イズマイールの戦い

1791年、アレクサンドル・スヴォーロフはイズマイール陥落を女帝エカチェリーナ2世に報告した。イズマイールに住むムスリムたちは、女も子供も容赦なく、家から家、部屋から部屋へと強襲された。3日間の統制の効かない虐殺で、40,000人ともいうトルコ人が殺され、数百人が囚われの身となった。スヴォーロフは虚勢をはり、のちにイギリス人旅行者に対し、『虐殺が起こったとき、私は自分のテントへ行ってむせび泣いた。』と語った[1]

戦後、イズマイールはオスマン帝国へ返還されたが、ロシア軍は1809年9月14日に取り戻した。1812年ブカレスト条約でベッサラビアとともにイズマイールはロシア帝国に併合された。町はそれから再建された。大聖堂(1822年-1836年)、救世主降誕教会(1823年)、聖ニコライ教会(1833年)など、多くの建物がこの時代に建てられた。イズマイール最古の建物は、小さなモスクで、15世紀か16世紀に建てられた。モスクは1810年に教会に変えられ、現在は1790年のイズマイール急襲を記念する博物館となっている。

大聖堂

ロシアがクリミア戦争で敗退すると、町はモルダヴィア公国に併合され、すぐ後にドナウ公国(モルダヴィア=ワラキア合同公国)の支配下に入った。ロシアは露土戦争1877年-1878年)の後にイズマイールの支配を取り戻した。1918年にロシア帝国が崩壊した時には、ルーマニア軍に一時占領された。1918年から1940年まで、イズマイールはベッサラビアとともに、ルーマニア王国の一部であった。

第二次世界大戦中の1940年、再びイズマイールはソビエト連邦赤軍に占領され、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国に併合された。しかし、イズマイール周辺地域は、バルバロッサ作戦に派兵したルーマニア軍が1941年から支配した。1944年に奪回された後、ソ連時代には多くのロシア人とウクライナ人がイズマイールに移住し、次第に民族構成が変化していった[2]。イズマイール州は1940年につくられ、1954年にオデッサ州と合併するまで、州都はイズマイールにあった。1991年8月24日から、イズマイールは独立したウクライナの一部となっている。

2023年8月1日ロシアのウクライナ侵攻の過程で、港の施設がロシアの無人機により攻撃を受けた[3]

出身者

参照

外部リンク

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